長暦三年(1039年)十二月しわす八日,わたしは三十二になっていました。

 

宮仕えで女房部屋を頂いて,そのままずっと上がらせて頂くようになってから,父のことも気がかりなのですけれど,

 

わたしの姉が今から十五年前に二十四で,出産後すぐに身罷ってしまい,母親が居なくなってしまったその時産まれた忘れ形見,二人の可愛い姪たちのこともわたしは心配でなりません。

 

この子達が生まれてから,わたしはいつも一緒で,夜は寝床でわたしの左と右に寝たり起きたりするのも,しみじみと悲しく思い出されるなどして,

 

宮仕えのお仕事も気持ちが上の空になってしまいまして,ぼんやりと物思いに沈んで過ごしました。

 

他の部屋の女房達がわたしの控え部屋の中の様子を立ち聞きしたり,のぞき見したりするような気配がして,たいそうひどく気詰まりに感じました。。

 

(「姉の忘れ形見」 口語要約文と段付け,「」タイトルはfiorimvsicali。)

 

 

 

 

「母なくなりにし姪どもも,生まれしより一つにて,

 

夜は左右に伏し起きするも,あはれに思ひいでられなどして,

 

心も空にながめ暮らさる。

 

立ち聞き,かいまむ人のけはひして,いといみじくものつつまし。」
 

【更級日記,菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ 原作】