長暦三年(1039年)十月かみなづき二十七日,わたしは三十二になっていました。

 

…皆さん,まぁ聞いて下さいね。このわたしの今の様子をお聞き召され遊ばしました,後朱雀天皇君様の祐子(ゆうし)内親王家様に在らせられる然るべきお方様が,

 

「これと言うことも無く,何もすることも無く手持ちぶさたで寂しくていらっしゃるよりも宮仕えをなさったら。」と,このようにおっしゃって,このわたしをお召し遊ばしなさいますけれど,

 

わたしの時代後れの両親は,宮仕えのお仕事はとても辛いことなのでと思っているので,わたしをそのままにしておくのですけれど,

 

「最近の若い人は,そのような感じで皆さん宮仕えなさっていますよ。そうしている間に,ひょっとして自然と良いことが起きることもあるのです。そのようにして是非宮仕えをなさいね。」と親にも話す人がいらして,

 

それで親も嫌々ながらにも,わたしを宮仕えに出したのです。

 

(「われ三十二になりしほど」 口語要約文と段付け,「」タイトルはfiorimvsicali。)

 

 

 

 

 

「「なにとなくつれづれに心細くてあらむよりは。」と召すを,

 

古代の親は,宮仕人はいと憂きことなりと思ひて,過ぐさするを,

 

「今の世の人は,さのみこそは,いで立て。さてもおのづからよきためしもあり。さても試みよ。」といふ人々ありて,

 

しぶしぶにいだし立てらる。」

 

【更級日記,菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ 原作】