万寿二年(1025年)四月うづき二十五日。
それでわたしは,この人にこのように話しかけました。
この山奥の寺にある石間から出ている泉のお水を手で掬って飲んで,飲み飽きないとは,紀貫之の歌がありますのに,このたったの今にお知りになったのでしょうか。
するとこのお水を飲んでいた人は,こうお応えになりました。
山寺のお水の滴に濁っていると詠んだあの紀貫之の歌よりも,ここのお水はそれでもまだ美味しさゆえ飲み飽きないことです。
そして家路に就き帰って,夕陽がくっきりと照らされているところに,京の都も遠く広く眺められる時に思い出したのは,
この滴に濁ると詠んだお方は,京にお帰りになると言い,それは心寂しく辛いと思っていましたが,また翌朝の早朝このように送ってくれました。
山と空の境目,空の部分に夕陽の影はすっかりと入ってしまって,それはしみじみともの悲しい気持ちで,わたしは眺め遣られましたわ。
(「滴に濁る飽かず水」口語要約文の編集と「」タイトルはfiorimvsicali。)
奥山の石間に水をむすびあげてあかぬものとは今のみや知る
と言ひたれば,水飲む人,
山の井のしづくに濁る水よりもこはなほあかぬ心地こそすれ
帰りて,夕日けざやかにさしたるに,都の方も残りなく見やらるるに,
このしづくに濁る人は,京に帰るとて,心苦しげに思ひて,またつとめて,
山の端に入日の影は入りはてて心細くぞながめやられし
【更級日記,菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ 原作】