万寿二年(1025年)四月うづき二十五日。
この四月うづき下旬の頃,そのようなことの訳がありまして,賀茂川の東,東山に移り住みました。
その道を歩いて行く間は,田んぼの苗代水が引いてあり,苗が植えられているのも,何とはなしに青みがかかって,ずっと美しく趣のある様で見え続いているのです。
そして,山の木々が小暗く家の前近くに見えていて,何とも言えずにしみじみともの悲しい風情な,この日の夕暮れ,水鶏くいな鳥がしきりに鳴いています。
くいながそんなに叩きつけるように鳴き続けても,このような日の暮れてしまった東山の道を尋ねて一体に誰が尋ねてくると言うのでしょうね。
…さて,霊仙寺は近くにあるので,お参りして拝み申し上げましたけれど,道中が大変に険しく喉も渇いて苦しかったので,この山寺にある石間から出ている泉に立ち寄りまして,手に掬ってはして水を飲んで,
「この湧き水は飲み飽きることが無いと思われますねぇ,美味しいので。」
とおっしゃるお方がいたので,わたしはこのように歌に詠んでみました…。
(「霊仙寺の湧き水を掬いて」口語要約文の編集と「」タイトルはfiorimvsicali。)
「四月つごもりがた,さるべきゆゑありて,東山なる所へ移ろふ。
道のほど,田の,苗代水まかせたるも,植ゑたるも,なにとなく青み,をかしう見え渡りたる。
山の陰暗う,前近う見えて,心細くあはれなるゆふぐれ,水鷄くひないみじく鳴く。
たたくともたれかくひなの暮れぬるに山路を深くたづねては来む
霊仙近き所なれば,まうでて拝み奉るに,いと苦しければ,山寺なる石井によりて,手にむすびつつ飲みて,
「この水の飽かず覚ゆるかな。」
と言ふ人のあるに, 」
【更級日記,菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ 原作】