音譜   ラブラブ   ドキドキ   ラブラブ   音譜   


安二年(1022年)七月ふみづき十三日(三十日)。


       三日月   半月   星空   満月   新月


この夜に月がたいそう一点の曇りも無く明るく輝いているときに,皆寝静まっている夜中時分,月眺めで縁側に出ていますと,姉さんがこの空を物寂しい様子で眺めながら,


「もしも今この時に,わたしが当てもなく飛び去ってしまったとしたら,あなたはどう思うのかしら。」とわたしに尋ねるので,


わたしは何だか気味が悪いと思っているその様子を見て,姉さんは他の話に話題を移して笑うなどするこの時に,耳を澄ますと,お家のそばに先払いをしてきた牛車が止まった様子で,


「荻の葉,荻の葉の君は,いらっしゃいますか。」


と供の者に呼ばせていましたが,お相手のかたはお応えになりませんでした。


それで,呼びあぐんでしまって,笛をたいそう巧みに吹き澄ましながら,通り過ぎて行ってしまいました。


「笛の音が本当に澄み渡る秋風のように耳にしたのに,なぜ荻の葉というお方は,そうよ,ここよ,とお応えにならなかったのでしょうか。そよそよと秋風に吹かれそうなものなのに。」と姉さんに言ったら,


「本当にそうね。」と返して,更に


「荻の葉というお方がお返事なさるまで,どうして吹き寄らなかったのでしょうか,徒に通り過ぎてしまった美しい笛の音こそ,恨めしく思いますよ。」


などと返してきて,こんな風にして,夜の白々と明けるまで月を眺め明して,二人とも休んだことでした。


(「吹き寄らざりし笛の音」 口語要約文の編集と「」タイトルはfiorimvsicali。)






その十三日の夜,月いみじくくまなく明かきに,皆人も寢たる夜中ばかりに,縁にいでゐて,姉なる人,空をつくづくとながめて,


「ただ今,行くへなく飛びうせなば,いかが思ふべき。」と問ふに,


なま恐ろしと思へるけしきを見て,異事ことごとにいひなして笑ひなどして,聞けば,かたはらなる所に,先追ふ車止まりて,


「荻の葉,荻の葉。」


と呼ばすれど,答へざなり。


呼びわづらひて,笛をいとをかしく吹きすまして,過ぎぬなり。
 

 笛のただ秋風と聞こゆるになど荻の葉のそよと答へぬ


と言ひたれば,げにとて,


  荻の葉の答ふるまでも吹きよらでただに過ぎぬる笛の音ぞ憂き


かやうにあくるまでながめあかいて,夜明けてぞ皆人寝ぬる。

【更級日記,菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ 原作】