治安二年(1022年)七月ふみづき七日(二十三日)。
この世に玄宗皇帝と楊貴妃の長恨歌と言っている叙事詩を物語にして書いているお家があるようだと聞きますので,
それはとても一目見たいと思いますけれど,言うことができないでいましたので,然るべき充所あてどころを頼って,この日に詩を言い送りました。
「玄宗と楊貴妃が契りを交わしたという昔の今日のことをわたしは知りたいと思っていまして,打ち出ると言う天の川の波のように,言葉にして願い出てしまったことです。」
すると返歌として,
「彦星が織女星に会いに出かけるという天の川の岸辺のことで,貴女がおっしゃり下さったのに心引かれまして,いつもは貸し出すなど不吉だと思っていましたけれど,それも忘れてしまうほどになりました。お届けしますね。」
と在りました。
(「川波の長恨歌」 口語要約文の編集と「」タイトルはfiorimvsicali。)
世の中に長恨歌といふ文を,物語に書きてある所あんなりと聞くに,
いみじくゆかしけれど,え言ひよらぬに,さるべきたよりを尋ねて,七月ふみづき七日言ひやる。
契りけむ昔のけふのゆかしさにあまの川波うちいでつるかな
返し,
たちいづる天の河辺のゆかしさに常はゆゆしきことも忘れぬ
【更級日記,菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ 原作】