治安二年(1022年)五月さつき十七日ごろ,物語や小説のことを昼間は一日中思い続けて,夜は夜で起きている間中,このことばかりを心に思い描いていると,
夢に見たことは,
「近頃,わたしは皇太后宮(藤原妍子よしこ)様の皇女で在らせられる,禎子ていし内親王様の御用達として,六角堂(京都市頂法寺)に遣り水の設えを造っています。」と言う人がいるので,
「それはどういうことなのでしょうか。」とお伺いすると,
「天照大御神をお祈り申し上げなさい。」
と言うように夢で見たのですが,そのことを周りの人にも話さず,何と言うことも思わないで終わってしまったのは,何ともお話になりません。
春が巡ってくる毎に,こちら禎子ていし内親王様の御所を眺めながら,
「花がもう咲くだろうと心待ちにして,散り乱れてしまったと嘆く,その春は,我が家の物として禎子ていし内親王様の御所の桜花を愛でることです…。」
思い起こせば,三月やよひ末近くに,土忌の方違たがえをしているお方の所にお邪魔すると,桜の花が今を盛りと咲いていて素晴らしく,まだ散っていない桜もありました。
帰ってからの翌日に「一日いても見飽きることのなかったお宅の桜花を春の終わりになって散り際の時に一目見させて頂きました。」と詠んで,使いを出しました。
(「桜花を愛でて」 口語要約文の編集と「」タイトルはfiorimvsicali。)
物語のことを,昼はひぐらし思ひつゞけ,夜も目のさめたる限りは,これをのみ心にかけたるに,夢に見ゆるやう,
「このごろ皇太后宮の一品いっぽんの宮の御料に,六角堂に遣水をなむ造る。」といふ人あるを,
「そはいかに。」と問へば,
「天照御神を念じませ。」
と言ふと見て,人にも語らず,なにとも思はでやみぬる,いと言ふかひなし。
春ごとに,この一品の宮をながめやりつつ,
咲くと待ち散りぬと嘆く春はただわが宿がほに花を見るかな
三月やよひつごもりがた,土忌つちいみに人のもとに渡りたるに,桜盛りにおもしろく,今まで散らぬもあり。
帰りてまたの日,
飽かざりし宿の桜を春暮れて散りがたにしも一目見しかな
と言ひにやる。
【更級日記,菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ 原作】