治安二年(1022年)五月さつき十七日ごろ,軒先に近い橘の花がたいそう白く輝くように散っているのを目にしまして,
「季節外れの時季に降り積もった雪かと眺めることでしょうね(実際は違いますけれど)もしも橘の花が香らないとすれば…。」
あの上京するときに見た相模国の足柄山という山中の麓に暗暗とした様子が広がっていた木々のように,わたしのお家は木々が生い茂ったような所なので,十月かみなづき頃の紅葉の眺めは,その四方の山々よりも誠に,よりしみじみとして素晴らしい上に,錦織を引き回したように見えるので,よそから訪れたあるお方が,
「今お伺いししたところの紅葉葉もみじばのたいそう素晴らしいところがございましたよ。」
とお話しなさるので,わたしはふとこのように詠み返しました。
「どこの景色にも劣ることは無くってよ,我が家の,世間が嫌になってできた手つかずのこの庭の景色は,秋の終わりの景色にも似ていて…」。
(「源氏物語五十余巻」 口語要約文の編集と「」タイトルはfiorimvsicali。)
五月さつき朔日ついたちごろ,つま近き花橘の,いと白く散りたるをながめて,
時ならずふる雪かとぞながめまし花橘のかをらざりせば
足柄といひし山のふもとに,暗がり渡りし木のやうに,茂れる所なれば,十月かみなづきばかりの紅葉,四方の山辺よりもけに,いみじくおもしろく,錦を引けるやうなるに,ほかより来たる人の,
「今,参りつる道に紅葉のいとおもしろき所のありつる」といふに,ふと,
いづこにも劣らじものをわが宿の世を飽き(秋)果つる景色ばかりは
【更級日記,菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ 原作】