治安元年(1021年)三月やよい二日。
梅花が早く咲いて欲しい,継母はお伺いしましょう,と言っていたのですけれど,本当にそのとおりかしら,と梅の枝を見ながら待ち続けていましたけれど,花は皆咲いてしまいましたが,何の音沙汰も返事もありませんでした。
思いを募らせて,,梅の枝を折って歌と共に送りました。
「あなたは当てにさせていてまだ来ないのに,わたしはそれでもまだ待たなければならないのでしょうか。霜枯れしてしまった梅にさえも,疾っくの昔に春は忘ずに来たと言うのに…。」
と言って送ったら,情のある親切なことをたくさん書いてきて,
「それでもまだ当てにしておいでなさいね。梅の高く伸びた枝は,約束のない思いがけない人でさえも訪ねてくることでしょうから,わたしもそのうちにお伺いするでしょう。」
との歌が添えてあったのです。
(「継母の返し歌」 口語要約文の編集と「」タイトルはfiorimvsicali。)
いつしか梅咲かなむ,来るむとありしを,さやあると,目をかけて待ち渡るに,花もみな咲きぬれど,音もせず,思ひわびて,花を折りてやる。
頼めしをなほや待つべき霜枯れし梅をも春は忘れざりけり
と言ひやりたれば,あはれなることども書きて,
なほ頼め梅の立ち枝は契りおかぬ思ひのほかの人も訪ふなり
【更級日記,菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ 原作】