寛仁四年(1020年)十二月十九日。
京の我が家は,広々とした荒れているところで,旅の途中で通ってきた山々に劣らないほど,大きくて恐ろしい感じのする深い山の木々で,都の中にあるとも思われない様子です。
さて,着いたばかりで落ち着くことも出来ず,とてもあれこれと騒がしい中でしたけれど,早く物語や小説を見たいと思ってきたことですから,
「物語や小説を探してきて見せてよ。探してきて見せてよ。」
と母を責め立てると,この三条の宮に親戚である衛門の命婦と言って,お仕えしていた人を尋ねて手紙を遣ったので,彼女はとても珍しがって喜んで,宮様のところの御下がりを頂いたと言って,特別に立派な綴じ本をたくさん,硯の箱のふたに入れて贈ってよこして下さった。
嬉しくてたまらなくなり,夜も昼もこの本を見ることから生活を始め,次から次へと読みたくなってしまって,まだ落ち着いて住んでいないような都のほとりで,一体誰が物語を探して見せてくれるお方がいるのでしょうか…,と今になって思うのです。
(「一体どうして思い始めたことか」 口語要約文の編集と「」タイトルはfiorimvsicali。)
「ひろびろと荒れたる所の,過ぎ来つる山々にもおとらず,大きに恐しげなる深山木どものやうにて,都のうちとも見えぬ所のさまなり。
ありもつかず,いみじうもの騒がしけれども,いつしかと思ひしことなれば,「物語求めて見せよ,物語求めて見せよ」と母をせむれば,三条の宮に,親族しぞくなる人の衞門の命婦とてさぶらひける尋ねて,文やりたれば,珍しがりて,喜びて,御前のをおろしたるとて,わざとめでたき草子そうしども,すずりの箱のふたに入れておこせたり。
嬉しくいみじくて,夜昼これを見るよりうち始め,またまたも見まほしきに,ありもつかぬ都のほとりに,たれかは物語求め見する人のあらむ。」
【更級日記,菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ 原作】