2016年に亡くなった母は
昭和20年に東京の実践女子大学家政学部1年で学んでいました。
3月の東京大空襲を山手地区にいて免れ、
上野からて列車が出たので新潟に帰るのですが、駅では焼け出された人たちの中を帰り、小出では私の祖母が泣きながら待っていたそうです。
國學院、青山学院、実践女子と青山にキャンパスがあり、その後爆撃された学舎
その年度は母は小出小学校の校長先生から請われ講師をしたそうです。
GHQが視察に来る日はすぐ帰宅しなさいとなったそうです。
長岡空襲の事も聞いています。父は長岡高校生でその空襲にあいました。
大学が再開しキャンパスに戻りそこで
広島、長崎の同級生が原爆により亡くなったと教授より聞いたそうです。
涙にくれたと!
話は飛びますがその実践女子大の同級生の方のお嬢様も声楽家になられているのでした。お互い連絡しています。
母はどんなに喜んでいたか。
私が国際ローターリー財団の奨学生の試験に受かり派遣される事が決まった時
母は
私の青春は戦争で台無しになった。
娘がアメリカの奨学金で留学する事は
当たり前∑(゚Д゚)だと言いのけたのです。
私はただただ驚愕しました。
感謝しようと話していました。
教師として本当に精一杯働いている母から
こんな言葉を聞くとは!
戦争体験している先生達から習えた私には
肝がすわった先生方に感謝しかありません。
そして母は常々
悔いの残らないようにとことん
勉強しなさいと
やりたい事をとことんやり
実践女子大生として母は
武蔵野音楽大学の立松ふさ大教授にレッスン受けていたと!転学しなさいと言われたと
どんだけ我が家の先祖は金持ちだったのだろうか!
しかし、転学はしなかったと、、、
美容院は銀座のマヤ片岡にいっていたと
なんと声楽の友人は片岡家に嫁ぎました!
保証人はセリーグの江川問題があった時の鈴木会長だったと!
ニュースに出た時鈴木会長の家におじいちゃんと挨拶に行ったと
なんだかこの山岳地帯のひっそりした街にいながら
どんだけぶっ飛んでいる家か🏠
なので私がぶっ飛んでいても
先祖の足元にも及ばず!
明日はお仏壇を磨きますね
お母さんありがとう
音楽をやらせてもらい続けている事
お父さん
やれやれと思ってるとおもうけど
許してね!