Finn Søeborg ”Med åbne arme”
フィン・セーボーの『諸手を挙げて』を読了したのち、もう一度読み返してみました。
フィン・セーボーは何をいおうとしてこの作品を書いたのだろう?
私は「社会を裏側から見ること、疑ってみること」が学べました。
とにかく面白い作品なので、楽しんだだけでも十分なのです。
でも著者は本作が売れることの他に、伝えたいことがきっとあったに違いありません。
この作品は悲劇的です。
フィン・セーボーはユーモアが効いているのに、書いていることは暗い話です。
領事は相手の話に耳を傾けるのでなく、勝手に会話を進める人です。
彼はお金持ちですが、どんな経緯でお金持ちになったのか…。気前がよさそうですが、有り余るお金
を自由に湯水のごとく使っているとしか考えられません。
ここに現れた数組の夫婦(男女の組み合わせ)から「夫婦とは?」と考えるきっかけになりました。
たとえば夫の不倫を悩み、被害妄想になっている妻と政治難民のクラインの関係も描かれます。
街にただ一人の売春婦とクラインの関係も描かれます。
事の良し悪しは別として、売春はいつの時代も需要があるということでしょうか。
クラインは売春婦の本来の仕事でない「紅茶を飲んで、おしゃべりする」ために売春婦を頻繁に訪れるのです。
領事は未婚で、秘書(?)と思われる女性が彼のパートナーです。このパートナーは領事にはっきりモノ申せる人物なので私は少し好感を持ちました。
アトランダムな記述となってしまいました。
『諸手を挙げて』の余韻はまだまだおさまりません。本作品が何を訴えているのか、できることなら
既読の方々と意見を交わせるといいのですが。