スタバの裏のコインパーキングに車を預け、急ぎ

で向かった店内に、しかし彼女の姿が見当たら

なかった。

 ここにくれば当然にあの人に逢えるものと思い込

んでいた浅墓な僕は、目の前につきつけられた事

実に愕然とした。

(あ、そうか、彼女は今日、休みなのか・・・)

 動揺しながらも諦めきれずにレジに近寄り、よく

よく中を見回してみたのだけれど、やっぱり彼女は

どこにもいない。

 ひどく落胆したせいか、軽い眩暈に襲われた。

 頭の中が瞬間、真っ白になる。

(いや、でも、待て待て。ま、まだわからないさ。)

 僕は慌ててそう思い直した。

(もしかしたら今、彼女は休憩時間なのかも、だ!)

 そうなのだ。

 彼女の不在を、すぐに認めてしまうわけにはいか

なかった。だって、諦めてしまうのは、僕の感情は

あまりにも強く彼女の姿を求めていたから。 

 仕事が手につかない僕のこの状況をどうにか緊

急回避するためには、一目でいいのだ、どうしても

彼女の姿が必要だった。


「ご注文が決まりましたら、どうぞー」

 と笑顔を作る、あの人ではない店員に、僕は本日

のコーヒー(ホット)のショートサイズを注文し、店の

奥の席に腰を下ろした。


 どうか、休憩時間であってください。

 コーヒーを啜りながら、そう祈る。

 レジカウンターの奥にあるスタッフルームの扉。そ

こから忙しそうに出入りする店員の顔を眺めながら、

今にもあの人が出てくるのを、心待ちにしていた。

 お願いだから。

 一目でいい。

 一目でいいのだから。

 彼女の姿を見せてください。

 

 結局、1時間ほどそうした後で店を出た。

 あの人の姿を、僕はみることができないままに。





 


 県庁を出て駅までの道のりは、混雑する時間帯の

ために、どんなに車を急がせても30分はかかる。

 ハンドルを握りながら、はやくはやくはやくはやく、

と呪文のような独り言が口をついた。

 これはもう、何か禁断症状としか思えない。

 僕はフロントガラスに向かって言ってみた。


「あの、昨日セミナーでお世話になったものです。」


 無論、話しかける練習である。

 こういえば、僕の顔をみて思い出してくれるかも。

 話しかけるなら、彼女の中でまだ昨日のセミナーの

記憶が新しい今のうちだ。

 

「昨日、楽しかったですよ。すごく。」

ニコ。(注:笑顔である)



 ずいぶんと堅苦しくてヒネりのない台詞ではあるが、

まあ、そのへんは勘弁していただきたい。

 僕程度の男子力では、せいぜいこの程度で精一杯

なのである。


「あの、昨日セミナーでお世話になったものです。」


「昨日、楽しかったですよ、すごく。」

ニコ。


 ののろのろと進む先行車両にRPGを打ち込みたい

衝動を抑えながら、馬鹿みたいに何度も言い続けて

いるうちに、少しづつ駅前のスタバまでの距離が縮ま

ってきて、どこからともなくこんな音が聞こえてきた。


 どきどきどきどきどきどきどき。

 

 ドキドキ鳥だろうか。

 



 彼女に逢いたい。

 なるほど、これは切実な問題だった。

 なにしろ、仕事がまったく手につかないのである。

 セミナー翌日の月曜日、朝8時に出勤して、自分

デスクに腰を下ろし、お茶をすすって、それから

もなく僕はそのことに気がついた。

 午後になっても状況は回復せず、むしろ悪化した

といってもいい。逢いたい気持ちが加速度をつけて

エスカレートしていくのだった。

 しかし、これは非常にマズイ事態である。

 僕はお給料の対価として仕事をしなければならな

いのだ。それが雇用契約というものだ。なにしろ僕

の職業はコウムイン。血税で養われているわけで。

だから真剣に、集中して、より効率的に職務を果た

さないといけないのだ。

 けれど・・・・・・・。

 けれど、どうしようもないのである。

 どうしても自分をコントロールできないのだ。

 もう逢いたくて逢いたくて仕方がないのだ。



 社会人生活この8年。退庁時間がこんなに待ち遠

しいことがあっただろうか。

 ( いや、ないっ!絶対ないって! )

 上司の頭の向こうにある壁掛け時計を何度もチラ

見しながら、僕はそわそわと午後5時30分の終業チ

ャイムを待った。

 時計よ、巻きで進んでくれっ。 巻きで。

 僕のデスクの上は早くもきれいに片付けられ、PC

の電源も既に落としてある。帰り支度は万端である。

 どうにも手持ち無沙汰になって、

「いやあ、今日はずいぶん仕事したなあ~」

 などと大きく伸びをしつつ誰にともなくそう言うと、

隣の席の後輩がうさんくさそうな顔をして僕を見た。

 チャイムが鳴ると同時に、僕は職場を飛び出した。

バイトの女の子達より先に帰る職員はたぶん僕ぐら

いだったろう。でも、気にしない。

 僕は今からスタバに行くのだ。

 1秒でも早く彼女に逢いたいのだ。

 逢う、というより、姿を見る、が正解なのだけれど、

気持ちはまるで、久しぶりに恋人にあうときのテンシ

ョンなのである。


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 そんなわけで、僕のスタバ通いが始まった。

 長い前置きになってしまったけれど、これは今まさ

に進行中の、僕のスタバの恋の記録である。


 セミナーが終わっても、僕はしばらく店の中にと

どまった。もう少し彼女を見ていたかったし、でき

るならば話もしてみたかったから。

 店内に備え付けられた、コーヒー器具の陳列棚

の前に立つ。タンブラーやコーヒープレス機などを

眺めれば、店員が近づいてきてプレゼンをしてく

れるのがスターバックスの常だから、うまくすれば

彼女が来てくれるかも、と期待した。

 だけど、そう都合よくはいかなかった。

 彼女の姿は店内から消え、僕に近寄ってきたの

は別の店員だった。

「いかがですか、自宅で美味しいコーヒーが毎朝

いれられますよ」

 というセールストークの店員2人をやり過ごし、そ

れ以上その場に留まることもできなくて、仕方なく

店を出た。

 

 恋に落ちた帰り道は、なんだか自分が5センチほ

ど宙に浮いているような気分にうえに、頭の中では

彼女のことばかりを思い浮かべているものだから、

道を歩く足取りもフラフラと注意力のかけらもなくて、

通りのドブに足をつっこみそうになったり、交差点で

も車に轢かれそうになってクラクションを鳴らされた

りした。

 さすがに少し身の危険を感じ、気を引き締めよう

としたものの、それもたいして長続きせず。

 結局、僕はそのあとで電柱におでこをぶつけてし

まうはめになった。


 家に着いても、あいもかわず考えるのは、スタバ

の素敵な彼女のことである。

 ベッドに寝転んで天井をぼんやりとみながら、彼

女の笑顔を思い出す。

 天井に向けてひとりほくそ笑み、

「どうしようー」

「どうしよう俺えー」

 とか呟いているのだが、いったい何が「どうしよう」

なのかは自分でもさっぱりわかっていないのだ。




「一目惚れ」とという言葉の意味を思う。

 それは読んで字の如く、相手を一目見たその

瞬間に、否応なく恋に落ちること。容赦なく不意

打ちで、感電するような痺れを伴って。

 でも、だとすれば、この日僕の心に起きた出

来事は、決して一目惚れとはいえないのかもし

れない。なぜなら、一瞬で恋に落ちたというわけ

ではなかったのだから。

 その感情はとてもゆっくりと、僕の中に忍び込

んできたのだ。

 僕の目の前で、コーヒーの入れ方の実演をす

る彼女。まだそれほど教える立場に慣れていな

いのか、口調にかすかな照れを滲ませながらも、

笑顔を絶やさず、その説明はあくまでも丁寧だ

った。

 僕はそんな彼女を、最初はただ見つめていた

だけだった。見つめていたはずが、次第に目が

離せなくなった。コーヒープレスを扱う彼女の指、

彼女の横顔、その唇。目が合えば、まっすぐに

見つめ返してくるその視線。コーヒーカップを手

渡しで受け取る際に偶然触れ合った手の温も

り。その一つ一つが僕の内側の何かを変質さ

せ、その変質が徐々に全身へと侵食してゆく。

 不思議な感触だった。

 それは、スタートしたジェットコースターが、ゆっ

くりと頂上を目指して上っていくときの高揚感に

似ていた。ガタガタのいうコースターの振動音の

変わりに、僕の耳には自分の心臓の音がいや

に鮮明に響いていた。

「それでは、これで本日のセミナーは終了させ

ていただきます。」

 遠くの席で講師がそう告げたときには、僕の

乗るコースターは、きっと頂上まで上りつめてい

たのだと思う。そして、「お疲れ様でした」と彼女

がこちらに向けて微笑んだその瞬間、確信した。

 ああ、僕は今、恋に落ちたのだ、と。

 まっさかさまに、

 恋の底に、落ちたのだ。



だって、僕は想像すらしていなかったんだ。

こんなにも突然に、

自分が誰かを好きになるなんてこと。

ひとめぼれというものを、

今までしたことがなかったしね。


でも僕は君に恋をした。

間違いなく、君に恋を。


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 それは6月最後の日曜日のことだった。

 空は朝からどんよりと厚い雲の覆われていた。

 湿気で蒸し暑く、お世辞にも気持ちの良い天気

とはいえなかった。

 僕は午前9時を過ぎたころにアパートを出て、駅

前のスターバックスに向かった。

 気まぐれで申し込んだ、スターバックスのコーヒ

ーセミナーを受けるためだ。

 別に、それほどコーヒーに興味があったわけで

はない。

 ただ、何か新しいことがしたいなとは思っていた。

 時間を忘れて夢中になれるものがほしかった。

 あるいは、せめて予定のない日曜日が少しは有

意義になったと思わせてくれるような何かを。

 だから僕は、インターネットで見つけたこのセミ

ナーに応募をした。少なくとも、一人きりの週末を

やりすごすためには、悪くないアイデアだと思えた

のだ。


 スターバックスに到着し、自動ドアをくぐる。

 来客に気づいた数名の店員が、「こんにちわ」

と僕に挨拶をよこした。

 店内は空調がしっかりと効いていて涼しく、汗

ばんだ体に心地が良い。時間帯のせいだろうか、

客席はそれほど混雑していなかった。

 この店舗に来るのは久しぶりになる。

 スターバックスはたまに利用しているものの、

それはこの店舗ではなかった。アパートからほ

ど近いショッピングモールに別の店舗が入って

いたから、わざわざ駅前の、しかも駐車場のな

いこちらの店舗に足を運ぶ理由はなかった。

 たぶん、ここにくるのは2年ぶりくらいになるは

ずだ。

 店内を見回しながら、もう間取りも記憶にない

フロアを横切り、レジカウンタを目指す。

「セミナーに参加の者ですが・・」

 とレジカウンタで店員に声を掛けると、

「じゃあ、そちらで」

 と店員は店の片隅を指差した。

 そちらを見ると、フロアの端に、テーブルとイス

を必要人数分だけ寄せ集めただけのスペース

が作られている。

 ここでやるのか。客がいるのに・・・・。

 ちょっと落胆したが、まあ、気を取り直して席に

着く。

 参加者が全員揃うと、10時ちょうどにコーヒー

セミナー(初級編)が始まった。

 講師は若い女性だった。

 見慣れない、黒いエプロンを着用している。

 スタバでよくみる店員はいつも緑のエプロンじゃ

なかったかな、とレジカウンタのほうを振り返ると、

接客をしている店員はやはり緑色を着ていた。

 黒はおそらく、正規のバリスタなのだろう。

 あるいは何かの資格の証なのかもしれない。

 セミナーは2時間が予定されていた。前半の1

時間はコーヒーに関する基礎知識や薀蓄の説

明だったが、後半からは実践になった。

 参加者はいくつかの班に分けられ、コーヒープ

レスでコーヒーを淹れ、それを味わう。各班に1人

ずつスタバの店員がつき、てほどきを受けながら。

 僕の班についてくれたのは、黒いエプロンをし

た若い女性だった。講師とは別の。

「よろしくお願いします。」

 と笑顔をつくる彼女のことを、僕はそっと、値踏

みする(まあ僕も男ですから)。

 容姿のことを言えば、とりたてて美人だとは思

わなかった。

 極めて平均的なレベルの、少し上あたり。

 そうだな、高校生で例えるならば、クラスの男

子のうち3人がその子に想いを寄せているといっ

たぐらいの。

 それから身長は約160センチ、歳は20代前半

といったところ。

 メイクは控えめで、アップにした髪はいまどき

めずらしいほどの綺麗な黒。

 清潔感のある感じが、僕に好印象を与えていた。


 でも、そのときの第一印象はそれだけだった。

 ほんとうに、それだけだったのである。