8月13日。その日はやってきました。依然より楽しみにしていた富士山登山です


前日は緊張と楽しみと不安であまり寝れませんでしたが、眠さをおして富士山の山麓まで予定通り朝の6時頃辿り着きました。

お盆期間中ということでマイカー規制をしており麓から5合目まではバスに乗って行きました。ルンルン♪

いよいよ登山です。5合目は観光客やらなんやらで、ごった返していました。また空気は薄く、風も強く感じました。外国人、老人や子供たちがおり、驚くほどの軽装で山登りの準備をしていました。(こいつら山をなめてるな、と思いました)

いよいよ5合目から登山開始です。6合目まではあっさり走破。ハイキングレベルです。

6合目から7合目は記念撮影をしたり、楽しくトレッキング。(正直あまり覚えていない)
7合目から8合目。いよいよ酸素が薄くなってきて、酸素ボンベを吸いながら所々休憩して進む。これぞ登山か。
8合目から9合目。岩場も増えてきて、さながらロッククライミング。ハイキングとはちょっと様相を呈してきたぞ。酸素も薄く結構キツイ。どちらかというとかなりキツイ。正念場。気合で登る。この頃には既に20歩に1度は休憩。(高山病対策)

9合目から10合目。山頂に近づき、1歩1歩踏みしめながら進むかんじ。まわりの登山客もほとんど進んでいない。この頃になると先ほどの好天から天気が急変し、カナリ強い雨足。ときにはヒョウも降る。軍手、登山靴の中、パンツの中までびしょ濡れ。(なんてったって、ゴルフウェアのテーラーメイドで来ちゃったもんね。しかもズボンはチノパンだし。)突風も吹いており、激寒。最悪のコンディションです。ただ山頂も真近ということで、最後の力を振り絞り、気合だ、気合だ、とアニマルばりにがんばりました。登山開始から7時間やっとの思いで山頂に到着しました。そして宿泊の予約していた山小屋に命からがら飛び込んだのです。
入るや否や、ちょっと頑固そうな初老の山小屋の主人に「着替えはもっているのか?」と聞かれました。()持っていないと答えると、まさかの答えが。。。
「厳しいようだが、今すぐ帰りなさい。」

その瞬間、事態が把握出来ず心のなかで、え?×10とマジかよ!×10を叫びました。(着替えなんか持ってるわけねーじゃん。思いつきの無計画で、前日に登山靴を買ったくらいなのに。)
主人曰く、ずぶ濡れの服装では山小屋も夜中は寒くなるので死んでしまうとのことでした。
最後に改めて、
「悪いことは言わないから厳しいようだけど今すぐ帰りなさい」と促され、下山の途に就くことに決めました。
尚且つ、最後に
「山を舐めたらいかんぜよ」
と言われました。(笑)
その時、心の中でまじかよ、人殺しめ!責任とれるのか、と思い生きてかえれたら絶対にクレームの電話をしてやろうと思いました。
その時既に体力は限界に近づき、手足はかじかみ、HPでいうと0です。ただ選択肢は下山しかなく、ビニール袋を被ったり、ヘッドライトをつけたり、出来る限りの気休めをしました。ただ手は言うことを聞かず、膝と太ももは寒さと疲れのせいでガクガク笑っています。外もゴウゴウと台風のような風です。ただ日が暮れるタイムリミットも迫っており、意を決して吹雪の中に飛び込みました。体にむちを打ち、下山するうちに、死への恐怖と辛さ、悲しさが込み上げてきて、笑けてきました。また涙も出てきました。(?)最近、涙腺が弱いようです。
そうこうしているうちに暗闇のなか、なんとか無事に5合計目まで辿り着くことができました。バスに飛び乗り山麓に向かう頃には、頭がいたく、ムカムカして気持ちが悪かったです。やはり冷静に考えると、山小屋の主人が言っていたことはあながち正しかったのかな?と思いました。
このようにして、富士登山は終焉をむかえることとなり、自然の偉大さ、壮厳さが身に染みました。
というわけでこの旅で学んだことは、
富士山でのトイレは200
円
山をなめたらいかんぜよ
ということです。
そして現在、太ももが筋肉痛でチョー痛いです。
最後に1ヶ月後、半年後、一年後、いつになるか分かりませんが、必ず御来光のリベンジをしてやろうと思います。
リベンジしたい登山家、大募集! 乞うご期待!!!
