ゲルハルト・ボッセ -89歳の巨匠- Gerhard BOSSE | 途中下車前途有効 Ameba Version

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第1072回 ゲルハルト・ボッセ -89歳の巨匠-

Gerhard BOSSE

 89歳の巨匠ゲルハルト・ボッセが到達した孤高の境地を! 、というフレーズで「ゲルハルト・ボッセ指揮・第4回定期演奏会」が開かれます。曲目は1、ベートーヴェン: 「大フーガ」Op.133(弦楽合奏版)、2、バルトーク: 弦楽のためのディヴェルティメント Sz.113、3、シューベルト: 弦楽四重奏曲第14番ニ短調「死と乙女」D810(マーラー編曲による弦楽合奏版)。


日時:2011年2月10日19時開演・19時30分開場/

場所:紀尾井ホール チケット: 全自由席 3,000円/
問い合せ=090-3402-2070またはinfo@academyphil.com








Gerhard BOSSE Beethoven: Symphony No. 7 - II







Gewandhausquartett







Matthäuspassion 39 - Erbarme dich, mein Gott







Brandenburg Concerto No. 2







 ゲルハルト・ボッセ(Gerhard Bosse, 1922年1月23日 - )

ドイツの指揮者、ヴァイオリニスト。
1922年 ライプツィヒの東、ヴルツェンに生まれる。
1924年 ゲーラの南、グライツへ転居。
1928年 父よりヴァイオリンの手ほどきを受ける。
1929年 ゲーラのコンマス、カール・ゲルナーに師事。
1936年 ゲヴァントハウス管弦楽団の第1コンサートマスター、エドガー・ヴォルガント教授に師事。
1941年 ライプツィヒ音楽院では、ヴァルター・ダヴィソンにヴァイオリンを、ヨハン・ネポムーク・ダーヴィットに音楽理論を、エドガー・ヴォルガントにオーケストラスタディを師事。
1942年 ゲヴァントハウス管弦楽団の代用メンバーを務める。
1943年 リンツの帝国ブルックナー管弦楽団 (Reichs-Bruckner-Orchester) に所属。ハンス・クナッパーツブッシュ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤン、カール・ベームなどのもとで演奏する。
1946年 ヴァイマル音大講師。ボッセ弦楽四重奏団を結成。
1949年 ヴァイマル音楽大学教授。
1951年 ライプツィヒ放送交響楽団第1コンサートマスターに就任。ライプツィヒ音楽大学オーケストラ学科長のポストに就く。
1952年 ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクール審査委員。プラハの春音楽祭に招かれる。
1955年 ゲヴァントハウス管弦楽団第1コンサートマスターに就任。ゲヴァントハウス弦楽四重奏団をクルト・シュティーラー教授より引き継ぐ。
1961年 フランツ・コンヴィチュニー率いるゲヴァントハウス管弦楽団とともに初来日。
1963年 ゲヴァントハウスバッハ管弦楽団を創立し、リーダーを務める。
1964年 ゲヴァントハウス弦楽四重奏団初来日。
1968年 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクール審査委員。
1977年 ゲヴァントハウス弦楽四重奏団第1ヴァイオリンの座をカール・ズスケに譲る。
1978年 ゲヴァントハウスバッハ管弦楽団初来日。
1980年 霧島国際音楽祭を創設し、音楽監督を務める。
1987年 ゲヴァントハウス管弦楽団第1コンサートマスターを退任。ゲヴァントハウス管弦楽団(6月14日)およびゲヴァントハウスバッハ管弦楽団(6月22日)とのフェアウェルコンサートを指揮。
1994年 東京藝術大学客員教授。
1998年 神戸市室内合奏団首席指揮者。
2000年 神戸市室内合奏団音楽監督。新日本フィルハーモニー交響楽団首席客演指揮者。
2001年 霧島国際音楽祭名誉音楽監督。
2002年 東京藝術大学退官。新日本フィルハーモニー交響楽団ミュージック・アドバイザー。
2003年 東京藝大チェンバーオーケストラ指揮者。
2007年 神戸国際芸術祭指揮者。
2009年 ジャパンアカデミーフィルハーモニック音楽監督。1922年、バッハ所縁の地として知られるドイツのライプツィヒ近郊のヴルツェンに生まれ、5歳の時から父にヴァイオリンの手ほどきを受ける。

ライプツィヒ音楽院に進み、当時ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターでもあったヴォルガント教授およびダヴィドソン教授に師事。在学中から同管弦楽団のメンバーを務めた。

第2次大戦中は、リンツ帝国ブルックナー管弦楽団で、フルトヴェングラー、カラヤン、ベーム等のもとで演奏。 1946年にはワイマール音楽大学の助教授、49年には教授に就任した。1951年よりライプツィヒ放送交響楽団の第1コンサートマスターとなり、同時にライプツィヒ音楽院のヴァイオリン教授と室内楽マスタークラスの主任を務める。55年にはゲヴァントハウス管弦楽団の第1コンサートマスターとゲヴァントハウス弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者となる。

1962年にはゲヴァントハウス弦楽四重奏団の一員としてドイツ民主共和国国家賞、72年にはライプツィヒ市からニキシュ賞と政府から国家功労賞を受賞。ゲヴァントハウス・バッハ管弦楽団のリーダーとして活躍。87年ゲヴァントハウス管弦楽団第1コンサートマスターを退任、記念コンサートを指揮する。98年、ドイツ政府より功労十字勲章(一等)を授与。

1961年に初来日。80年には霧島国際音楽祭・講習会を創設、現在に至るまで音楽監督を務め、講師、ソリスト、オーケストラの一員、指揮者として度重なる来日をしている。新日本フィルとは90年の特別演奏会で初顔合わせ以来、定期演奏会、カザルスホール定期、年末「第九」公演など40回近くの共演を重ねる。2000年9月より、新日本フィル首席客演指揮者を務めている。また2002年2月には同ミュージック・アドヴァイザーに就任。この就任と新日本フィルの創立30周年の記念として、7月から9月にかけて<ベートーヴェン・ツィクルス~交響曲全曲演奏会>を行い、非常に高い評価を受けた。



pictures: Japan Academy Philharmonic and other

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