ピアニスト 内田光子 Mitsuko UCHIDA | 途中下車前途有効 Ameba Version

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     第217編 Pianist Mitsuko UCHIDA  内田光子  


■日本人、というよりもそのほとんどを海外でくらしているところから、国際人、としたほうが妥当なピアニスト・ロンドン在住の内田光子さん(60)に対し英国政府は01年にはデイムに次ぐ勲章(CBE)を贈っているが、今年は、「ナイト」と同等の大英帝国勲章「デイム」を贈る、と正式に発表、近くエリザベス女王から授与される、としている。今日はピアニスト 内田光子 の特集です。



Uchida conducts Mozart's Piano Concerto #20 - Allegro1
Uchida conducts Mozart's Piano Concerto #20 - Allegro 2
Uchida conducts Mozart's Piano Concerto #20 - Allegro3


内田さんのスタインウエイ(ピアノ)は当時4000万円強で購入 
音色の深みやわらかさ 優美さは世界から絶賛されてきている。


Mozart sonata in C K.545 2nd mov,

〔語録〕:藤田晴子「ピアノとピアノ音楽」(2008年7月10日、音楽之友社刊)よりの抜粋

 指揮者フルトヴェングラーへの傾倒が強い。


いろんな試行錯誤を繰り返して、完全に抜け切れたのは、やはり、モーツァルトのソナタを全曲演奏で弾いたとき(82年)。突然、自分の音楽の形がスパッと見えちゃったんです。」

「この20年はロンドンでひとり住まい」の中で

「私がつくっている西洋音楽の世界というものは、私程度の才能では日本に住んだら死んでしまいます。私が勉強したウィーンには伝統の良さと悪さの両方があってモーツァルトはこういうものというような押しつけがましい規則にあふれていました。英国の方が自由な空気があるはずだと本能的に思ったんです。実際にそうでした。ロンドンが私の家。ああ、帰ったなとほっとします」。

私は口紅1本持っていません。そんな時間が勿体ないから」


Mozart Piano Concerto no.13 & 20- 1/7 Mozart Piano Concerto no.13 & 20- 2/7
Mozart Piano Concerto no.13 & 20- 3/7 Mozart Piano Concerto no.13 & 20- Allegro
Mozart Piano Concerto no.13 & 20- 5/7 Mozart Piano Concerto no.13 & 20-6 /7
Mozart Piano Concerto no.13 & 20- Rondo Mozart's Piano Concerto #20- Romanze

*音質不良部位は非掲載


ピアニスト内田 光子:(うちだ みつこ、1948年12月20日 - )。静岡・熱海生まれ。オランダ・フィリップス社所属。福山賞受賞。第3回飛騨古川音楽大賞受賞。1990年ロイヤル・フィルハーモニック・ソサエティ・チャールズ・ハイドシェック特別賞受賞。1986年度サントリー音楽賞受賞、1996年度朝日賞受賞。2001年、CBE(大英帝国勲章第3位)。2005年文化功労者。2009年、DBE(大英帝国勲章第2位)。


2009年大英帝国勲章「デイム」(ディム・コマンダー・オブ・ザ・ブリティッシュ・エンパイアDame Commander of the British Empire 大英帝国貴婦人指揮官章=大英帝国勲章第二級)。1972年に活動拠点をウィーンからロンドンに移す。1972年以来、ロンドンに居住。独身だが一緒に住んでいるロバート・クーパーはEU理事会対外・政治軍事総局長。

桐朋学園の「子供のための音楽教室」で松岡貞子に師事。12歳時・父*内田藤雄が外務キャリアであったことから赴任先に渡欧。1961年、オーストリア・ウィーン音楽院(現・ウィーン国立音楽大学)。リヒャルト・ハウザーに師事。ヴィルヘルム・ケンプ、ステファン・アスケナーゼ、ニキタ・マガロフ、ロンドンではマリア・クルチオなどから学んでいる。

”コンクール荒らし”の受賞歴


1966年・ミュンヘン国際音楽コンクール第3位(1位なし)。1968年・エリザベート王妃国際コンクール第10位、1969年・ウィーン・ベートーヴェン国際コンクール第1位。1970年ショパン国際ピアノコンクール第2位銀賞。


1973年・ルツェルン音楽祭クララ・ハスキル・コンクール第2位。1975年のリーズ国際コンクールとレーヴェントリット国際コンクール第2位など。現在までに、モーツァルト、ショパン、シューベルト、シューマン、ベートーヴェン、ドビュッシー、シェーンベルク、ヴェーベルン、ベルクなどの作品で、米国グラミー賞ノミネート、英国グラモフォン賞、BBCディスク大賞、日本レコードアカデミー賞などを受賞。

Etude Op.10 No.2 (after 7th Chopin Conpetition 1965)


活動の軌跡



1971年 英国ウィグモア・ホールでの演奏会でロンドン・デビュー。1984年、ベルリン・フィル定期演奏会(バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番、メシアン:異国の鳥たち 小澤征爾指揮)デビュー。以後、ザルツブルク音楽祭、プロムス、タングルウッド音楽祭、ルツェルン音楽祭などの世界的音楽祭の常連に。


1991年、アメリカ・カーネギー・ホールでデビューリサイタル。現在はリチャード・グードとともに、米国マールボロ音楽祭のディレクター 室内楽への取り組み、マスタークラス、そして若手音楽家への支援にも力を注いでいる。公式サイト

*父内田藤雄 戦前の駐西ドイツ大使。(加藤哲郎(一橋大学)「情報戦のなかの「亡命」知識人--国崎定洞から崎村茂樹までー第7巻『欧米編1』所収「1944年6月1日の米国戦略情報局OSS「ヨーロッパにおける日本諜報機関と機関員リスト」では、その総論の中で、ヨーロッパにおける日本の諜報機関のヘッドをベルリン日本大使館の一等書記官内田藤雄と特定したうえ、当時の在独日本大使館内でも、ナチ狂信派の大島浩大使、内田藤雄、牛場信彦ら」と記録して

東京都出身。1931(S6)年東京帝国大学法学部卒。外務省に入省、第二次大戦中はドイツ大使館一等書記官。法務省入国管理局長、外務省官房長を経て、'61(S36)駐オーストリア大使、'65年駐西独大使。 '70年退官。西ベルリンの旧日本帝国大使館を修復して作ったベルリン日独センターの初代総裁をつとめた。 '79年 勲一等瑞宝章。

ある。