1.あこがれの海底トンネル

 

私が生まれた1964年から北海道側吉岡斜坑掘削が始まり、1966年本州側竜飛斜坑掘削開始、1967年北海道側先進導坑掘削開始、1968年北海道側作業坑掘削開始、1970年本州側先進導坑掘削開始、本州側作業坑掘削開始、そして1971年本工事着手して1988年3月13日に開通、2016年にスイスのゴッタルドベーストンネルが開通するまでは、世界最長のトンネルでした。

本日はその青函トンネルを訪ねてみました。青森は冬に訪れることが多く、いつも休館(冬期)しており今回は3回目の正直です。

 

 

青函トンネル記念館でチケットを買って、ケーブルカーにのっていざ入坑。

 

青函トンネルは、津軽海峡の海底下約100 mの地中を穿って設けられたトンネルで、青森県今別町から北海道知内(しりうち)町まで延びる総延長53.85kmの海底鉄道トンネルとなっており、交通機関用のトンネルとしては日本一である。海底区間は23.3kmで、海底トンネルとしては1位の英仏海峡トンネル(37.9km)についで世界第2位の長さを誇っています。

 

 

頑丈な扉が開いて、「青函トンネル竜飛斜坑線 もぐら号」は海面下140mの世界を体験できる「体験坑道」に下っていきます(斜度14度の斜坑を約7分で走行し海面下140mに到達)。「もぐら号」は青函トンネル工事における作業員の移動や 物資の輸送などを目的として建設され、 青函トンネルにある2つの定点のうち、本州側の 竜飛定点(旧・竜飛海底駅)に通じています。

 

 

斜度14度の勾配で地中へ続くトンネルは黒部の関電トンネルのようで気分はワクワク!青函トンネル記念館に併設された竜飛斜坑線を昇降するこの観光用のケーブルカーは、現在、青函トンネルに降り立つことができる唯一の手段となっています。

海面下140mまで下ってきました。この先には本坑があるはずですが、北海道新幹線と貨物列車が共用走行する本坑は体験坑道から約400m先にあり、一般の立ち入りはできません。

 

 

2.青函トンネル

 

青函トンネル構造を少しみてみたいと思います。

本州と北海道を結ぶトンネルは全部で3本。先進導坑、作業坑、本坑の順で掘り進められました。

本坑と作業坑は約600mおきに横坑で結ばれ、ほかにも換気のための立坑があります。体験坑道からさらに500m下層、青函トンネルの最深部に「先進導坑」があります。

「先進導坑」は本坑や作業坑に先駆けて掘られた「試験施工」的な位置づけで、現在は排水や換気に使われています。「試験施工」的な位置づけということもあり、「先進導坑」では新しい技術や機械などが試され、掘削で得られた地盤状況などの情報は次に掘り進める「作業坑」の工事に活かされたということです。最後に着手する「本坑」では「先進導坑」での試行錯誤の成果が活かされ、工事は効率的に進んだと言われています。また「先進導坑」は「本坑」より低い所を通しますが、これは湧水を地上に出す排水坑を兼ねるということです。

工事後、先進導坑や作業坑などそれぞれ役割を持った複数のトンネルが「本坑」を支えることで青函トンネルは成立しているのです。ここまで「作業抗」がたくさんあるとは知りませんでしたが納得です。

 

 

1964年工事開始、1971年本工事着手(本坑)、1976年大出水、1983年貫通、1988年開通と24年という長い長い年月をかけて造られたことがわかります。青函トンネル(5384億円)は明石海峡大橋(5000億)の10年と比較すると、工事金額だけでははかれないその困難さがわかります。
 

 

海底下100mでの工事は、出水事故との戦いで事故の度に工事は中断、排水作業に追われました。1976年5月6日に北海道側作業抗であった最大規模の出水では、毎分数10tの海水があふれ出して1日もたたずに888mが水没したということです。子供の頃このニュースを聞いてすごい工事をしてるんだな~日本って凄いんだな~と思ったことを想い出しました。

 

 

3.体験坑道

 

ケーブルカーを降りて体験坑道に向かいます。

案内係の誘導で説明を聞きながら約20分、実際に歩いてゆっくりと進んで行きます。

このような作業用トンネルは大好きです。

 

 

実際に作業坑として使われ、今も利用されている地下坑道の一角に、特設展示エリアを設け 実際に掘削に使われた機械や器機などを展示、 当時の現場の雰囲気を再現展示しています。

 

 

ここは予約もなくこれると言うこともあり、予約制のインフラツアーよりも通常の見学施設または観光施設に近い。多くのインフラツアーに参加した目の肥えた人には少しモノ足らない部分は致し方ないところだと思います。

 

 

しかし、建設業界で実施されている協会の安全パトロールや見学会に参加させていただいてる私でもワクワクするくらいですから、業界以外の人にとっては相当なインパクトだと思います。

 

 

狭いトンネル内にバッテリー付の機関車が90数台あり、それに連結された車両が走り回るという状態で、青函トンネルの作業に係わった作業員はのべ1200万人とも1400万人ともいわれています。

 

 

工事中の事故死者は34人、平成以降の土木業界でこの数字は許されない数字ですが・・・

 

 

体験ツアーの所要時間は約40分。予約なしでここまで見れたら大満足です。

 

 

4.それは洞爺丸事故から始まった

 

そもそも青函トンネルの建設は、昭和29年の台風による青函連絡船洞爺丸沈没という世界的にも大きな海難事故を契機として始まったといわれています。そんな津軽海峡の龍飛崎をSUPでツーリング。潮流が複雑なので慎重な対応が必要です。

 

 

1954(昭和29)年9月26日、函館港付近の七重浜沖で、台風15号による暴風雨で青函連絡船の洞爺丸が転覆沈没し、乗員と乗客1314人のうち1155人が死亡。洞爺丸以外の他に十勝丸・日高丸・北見丸・第11青函丸の4隻も転覆沈没し、乗組員計319人のうち275人が死亡というとんでもない事故が起きてしまったのです。

 

 

青函連絡船洞爺丸(3,899t)が台風15号の接近するなか函館港を出航しましたが、予想を超える港外の強風と大波に直面し、函館湾内で投錨仮泊しました。しかし台風の速度が時速110km/hと異常に早く、当時の気象観測ではこの状況に正確に追随できる台風情報が出せなかったこともあり状況は最悪に・・・その後大波による浸水のため蒸気機関の停止を招き、夜10時過ぎに函館湾七重浜近くで横転転覆座礁し、死者1155人の大惨事となりました。※死者1172人という情報もあります。

 

 

津軽海峡の海の中はは意外とカラフルなんです。

 

 

魚影も濃く海の中を堪能。

 

 

龍飛崎周辺はニッコウキスゲの群落を見ることができます。

 

 

青函トンネル開業後28年を経た平成28年3月には、北海道新幹線(新青森・新函館北斗間)が開業し、青函トンネルはその一部となりました。北海道新幹線の札幌延伸工事が進む中、東京~札幌4時間は実現できるのか?第二青函トンネルはありえるのか?

様々な課題がありますが、難題を乗り越え進化していってほしいと思います。

 

最後は十三湖でまったりとSUPして、今回の旅は終わりました。