1. 松島・奥松島アイランドホッピング計画
17歳の時に松島駅で野宿したとき蚊の襲撃にあったことと、観光地で人が多いという印象で、それ以来、松島に行きたいと思ったことはありませんでした。しかし、260?もの島があるという松島。SUPでアイランドホッピングをして、自然とドボクの関わりが観察できたら楽しそうだなあと思い、馬の背を起点に松島~奥松島(浦戸諸島)を漕いでみることにしました。
当初は鉄道を使って20kmのルートを考えましたが、早朝5:45、馬の背を起点に1周ルート25kmを漕ぐことにしました。
20km以上のアイランドホッピングは佐世保の九十九島、瀬戸内海の日生諸島以来になります。
今回はドローン携帯で多島美を写真に収めることにしました。
それにしても、この景色はどうして生まれたのでしょうか?
2.松島の多島美はどうして生まれたのか
松島の地形はリアス式海岸に海水が入り込み山頂が島として残っているということです。
まずは、鮮新世に起こった地盤運動によって松島湾に当たる部分に陸地が突出して半島のような地形ができあがりました。この地域の大部分の地層は第三紀層の凝灰岩、砂岩、シルト岩など侵食に非常に脆い岩質ということもあり、河川等によって容易に浸食されました。つまり多くの谷ができたということです。その後、利府構造線の断層活動によってこの半島は徐々に海中に没し、海蝕面が形成されて高い所は島となって残ったということがわかります。
但し、島の数については正確に把握されていません。
「松島眺望集」という文献では92島、「封内風土記」では87島、1910年「松島公園経営概要」では240島余、1981年の「県立自然公園松島学術調査報告書では230島、松島湾を管轄する第二管区海上保安本部では128島を把握、そして1991年「松島町史(通史編2)」では名称のあるものが144島、無名の島々が98島あると記してあるそうです。そして岩礁を島の数として含めると島の数は約300になるとか・・・260の根拠はなし???
松島の核心部の福浦島には橋が架かっています。252mの朱塗りの橋は、素敵な出会いが訪れる「出会い橋」と言われていますが、通行料金(200円)がかかるそうで、びっくり!
岩質が凝灰岩・砂岩・シルト岩ということもあり、島に囲まれた内海なのに浸食や洞窟などダイナミックな風景をみることができます。
3.カモメの威嚇
福浦島と焼島の間にある千貫島付近を漕いでいると、やたらとカモメが低空飛行で何回も何回も威嚇してくるのです。なんだろ?と思いその岩山をみてみると・・・
子育て中だったのです。
思わず、20年前に子供(幼少期)を迎えに公園に行ったときに、他の子供のお母さん達(面識なし)に警戒されたことを思い出しました(笑)
獺島(かわうそじま)?は、島全体がウミウのコロニーになっていました。臭い!
ユリの王様ヤマユリがあちこちで咲いていました。海なのにヤマユリ?
4.奥松島 浦戸諸島
奥松島と言われる浦戸諸島は、松島湾南部の七ヶ浜と松島湾東部の宮戸島の中間に位置し、桂島、野々島、寒風沢島、朴島の有人島と、馬放島、大森島など多くの無人島からなっています。牡蠣の養殖や松島白菜の生産が盛んで、海から見ても人とのつながりが深く感じられる島々です。
浦戸諸島ですが、縄文時代?の貝塚が多数発見されており、その頃から人が生活する島としての歴史が始まったと考えられています。江戸時代には、伊達藩の江戸廻米の港(物流の拠点)として多くの人や船が行き来するようになり、繁栄を極めていたということです。
松島湾は残念ながら水が濁っているのです。瀬戸内海の日生諸島や東シナ海の九十九島のようにシュノーケリングをしようとは思いませんし、釣り人も皆無です。
松島湾中央部の島が全くない海域の水深は約2m、海底が浅いため波が荒くなると海底の泥が舞い上がって海水が濁りやすくなっているのです。
野々島の隣にある無人島 漆島に、妙な防潮堤がありました。防潮堤の裏は池?になっています。なんだろ?と思っていましたが、元々は田んぼだったようで、3.11の津波の後ここを含む4つの無人島にも新たな防潮堤建設計画があったようです。
宮城県は「国土保全のために必要」として建設計画をたてたようですが、被災者からは「さすがに無駄ではないか」と疑問視する声が上がり、そのままになっているようです。
野々島は浦戸諸島の行政・生活の事実上の中心で、小中学校がある最も生活感のある島です。島のいたるところに「ボラ」と呼ばれる洞窟や野仏があり、夜鳴き地蔵、椿のトンネルなどの名所があります。
野々島から桂島にいくのに細長い半島をぐるっと回り込む必要があったのですが、なんとその付け根部分になんとトンネルが!
これはどう考えても都合が良すぎる・・・人工トンネルでは?
小舟なら十分通れる。
中に入ってじっくりと観察してみましたが、自然のトンネルのようでした。
野々島から浦戸桂島へ。
ここには、どうみても人工の穴が・・・
インディージョーンズの気分で、中に入ってみました。
中には広い空間が広がっており、まるで倉庫のような感じです。
立派です。少し手を加えるとグランピング施設になるのでは?なってほしくないけど・・・
地元ではこの穴のことを「ボラ」と呼んでいるそうです。「ほらあな」の略語?
このボラはいつ掘られたかはわかりませんが、700年前には「ボラ」が存在していたとか・・・
公式HPでは、「過去に防空壕や倉庫などに使用されたという話があり、そのまた昔に密貿易を行い巨万の富を洞穴に蓄えたという内海長者の伝説もありますが、実際のところ、いつ頃作られたのか?当初の目的は何だったのかは謎となっています。現在、多くの穴は民家の倉庫や漁具の資材置き場として利用されています」ということが書かれていました。
反対側にも間口の広い「ボラ」がありました。多分、自然のモノではないと思います。
トンボロに上陸して、反対側から外海に出ます。
トンボロとは、砂嘴が伸びていった結果、近くにあった島と繋がってしまったものです。
この沖合の島と繋ぐように堆積した砂の地形をトンボロ、繋がった島を陸繋島といいます。
浦戸桂島を空撮するとこんな感じです。
浦戸桂島の少し沖にあるのが、有名な仁王島です。
ここには観光船がひっきりなしにやってきます。
無人島の大藻根島と小藻根島は、たくさんの洞窟ときれいな砂浜があり松島・奥松島で一番気持ちのよいところでした。
大藻根島で休憩してドローンを飛ばしました。
上陸した大藻根島の砂浜はこんな感じです。
左下の小藻根島の切れ目があるところには、だいたい洞窟があります。
幻想的です。
ここの洞窟はだいたい反対側につながっていました。
金島から馬放島に渡るには、観光船の航路を横切らなくてはなりません。
松島の観光船の数は半端な数ではないので、遠方の船の様子を見て横切らなくてはなりません。
左右から来る観光船の通過状況をみながら出発、観光船の人たちが手を振ってくれました。
観光船は、丸文松島汽船、松島島巡り観光船、ニュー松島観光船の3社があるようで、それぞれにいろいろなコースがあるので船の数はすごく多いです。さすが松島ですね。こんなすごい観光地だとは思いませんでした。
帰りのルートです。向こうに見えるのが塩竃市内。
帰りは予想通りの追い風で楽々クルージング。
起点の馬の背に到着。
観光地を避けて起点を選んだのですが、ここにも観光客がいてSUPの私を変な感じで見ていました。「馬の背」もいいところですから・・・
松島はメジャー観光地ですが、SUPでのアイランドホッピングでは観光客と出会うことはなく地元の人の生活が感じられて、とても良い25km7時間30分の旅となりました。