1.石峠トンネル

 

魚沼から新潟に帰る時にいつも使っている石峠トンネル、このトンネルは1992年に開通したということで、それまではトンネルの上を走っていたそうで、ずっと気になっていました。

 

 

 

今年は雪が多かったので、山スキーとスノーボードで4日間かけてじっくりと石峠周辺を楽しみました。

 

 

まずは、トンネルが開通するまえの旧国道をたどります。

 

 

つららが・・・

 

 

ぐるっと沢をまきます。

 

 

下を走る国道が見えます。

 

 

徐々に国道から離れて高度を上げていきます。

 

 

雪が多くてわかりにくいところもありますが、道路の形はわかります。

 

 

所々にクレバスがあります。慎重に・・・

 

 

峠に近づいてきました。広々とした平原になっています。

 

 

峠の切通し、雪崩が怖いです。

 

 

2代目?の石峠を越えて栃尾側から守門側に出ました。

 

 

守門側にくると越後山脈の山々が・・・

 

 

滑りたくなる斜面もいっぱいあります。

 

 

それほど険しい峠ではありません。

 

 

解放感のある峠です。

 

 

2. 旧石峠街道

 

どうやら、この尾根が旧石峠街道のようです。

 

 

ほとんどの越後の山々をみることができます。

 

 

尾根道を歩きます。

 

 

途中には雪庇もあります。それほど危険ではありませんが、慎重に・・・
 

 

この石峠、石峠街道と呼ばれていたようで、会津と長岡結ぶ重要な街道だったと言われています。街道の起源がいつかは不明で、中世戦国時代から近世初頭にかけて堀之内の下倉城と栃尾城を結ぶ軍事上の重要な道であったとも・・・しかし、只見の山々の険しさを考えるととても重要な街道とは思えません。

 

 

1578年上杉謙信没後、跡目相続をめぐり景勝と景虎の兵がこの石峠で戦った(御館の乱)との記録もあるようです。

 

 

近世は南北の交易が盛んになり、石峠の入口には口留番所がおかれていたとか

明治の戊辰戦争の時もこの峠が戦場になったと言われています。

 

 

峠付近には大きな石があり、それが石峠の語源となっているそうです。その石のくぼみは、弁慶の足跡と伝えられていますが、作り話でしょう。

その石、雪の中ではまったくどこにあるかもわかりません。

 

 

越後三山がきれいです。私一人、本当に気持ちいい。

ここが戦いの地になっていたとは・・・

 

 

ぐるっとまわって栃尾側に戻ってきました。

こちら側はけわしいところが多く、滑走ルートがなかなかみつかりません。

 

 

最後は、険しい沢状地形をトラバース。けっこうやばかった・・・

山スキールートを開拓するのは面白いのですが、やはり危険もともないます。

とにかく慎重に・・・

 

 

なんとか、もとに戻ってこれました。まだまだ開拓の余地あり!