今回は福岡空港から行橋に向かうのに、最短ルートの筑豊経由で向かうことにしました。意外と列車が走っているに驚きました。
1.麻生セメントの源流 後藤寺線
筑豊と土木のつながりで思い浮かぶのが石灰石です。
「筑豊=石炭」はすでに昔のこと(2000万トンもあった九州の石炭輸送も昭和37年頃から急降下して15年でほとんど消滅)、現在は石灰石のヤマが目立ちます。石灰石の主要な用途はセメント原料です。日本では年間約7,900万トンの石灰石(全出荷量の47%)がセメント向けに出荷されています。セメントは石灰石、粘土、けい石、鉄滓などをキルンで焼成し、石膏を添加し粉砕して製造されます。
セメントは石灰石からつくられ、コンクリートをつくるための骨材にも石灰石が使われているのです。
新飯塚からJR後藤寺線にのって麻生セメントを源流を訪ねます。
麻生セメントの源流は、大正11年10月に、麻生太吉が九州産業鉄道株式会社の社長に就任したときにはじまったと言われています。この会社は、福岡県田川郡後藤寺町の船尾山および松尾山一帯にある、良質の石灰石資源の活用と、筑豊の横断鉄道の建設を目的として創立されたものでしたが、石灰石および石灰のみの生産では会社に発展性がなく、良質豊富な資源を活用して新たにセメント事業を興すべきであるという太吉の決断によって、昭和8年7月、九州産業株式会社セメント工場〈現田川工場〉の建設が開始されたと言うことです。同社はその後順調な発展を遂げ、ついて今日の麻生セメントへと発展成長したわけです。
当時、太吉は石炭鉱業の終わりを見越していて、次々とセメント事業開始の事前調査に当たらせ、当時としては考えられない、200ヘクタールもの石灰石の山を所有しました。そして45年後、全麻生の石炭のヤマが閉山した後、従業員を救うとともに、麻生の屋台骨を支える基幹事業となったのです。
後藤寺線の旅は短く、すぐ田川後藤寺に到着しました。田川後藤寺駅はJRと平成筑豊鉄道の連絡駅となっています。
2.日田英彦山線
田川後藤寺から日田英彦山線で田川伊田に向かいます。
田川後藤寺の構内は広大で、石炭及び石灰石輸送全盛期の面影をみることができます。
田川伊田駅に近づくと田川市石炭・歴史博物館が見えてきます。かつて筑豊随一の規模を誇った三井田川鉱業所伊田竪坑の跡地に設置されています。大牟田市石炭産業科学館ほどの規模ではありませんが、原始的な採掘から近代的な採掘までの、炭鉱で使われた道具や機械類の変遷を展示解説しているほか、屋外展示スペースには実際に炭坑での作業に使われた電気機関車やトロッコ、炭坑用機械などの展示は地味ながら圧巻です。
田川伊田駅の構内もめちゃくちゃ広い!広すぎて寂しい・・・
JR九州の日田彦山線と、平成筑豊鉄道の伊田線、田川線の3路線が乗り入れています。
複雑な日田彦山線。
1915年小倉鉄道として添田線(廃止)ルートで東小倉~添田間開業、西添田駅~夜明駅間は1937年から1956年にかけて延伸開業しました。1956年11月に城野駅付近で線路の付け替えが行なわれ、東小倉駅~石田駅間は貨物線となりましたが1962年に廃止されました。彦山~添田~田川後藤寺~田川伊田~行橋は豊洲鉄道として1895~1942年に順次開業しており、現在はこのルートが日田彦山線となっています。
田川伊田駅から、現在の平成筑豊鉄道と別れて香春方面に向かっていきます。
駅構内が広大なことから、地下通路も長いのです。
駅舎も立派で、1990年にJR九州が建設(鉄骨造3階建)、レトロ調?の外観となっています。
田川伊田駅舎ホテル・鉄板焼き料理店・うどん店・パン屋さんが入っています。
これほど立派な駅なのに、JRも平成筑豊鉄道も駅員さんはいませんでした。
田川後藤寺より南側については2009年に訪ねているので、その写真を使います。添田駅は廃止前の添田線と日田英彦山の接続駅でした。
現在の日田彦山線のホームは駅舎から約100m離れた位置にあるのですが、添田駅構内は添田線のホームや貨物の操車線でいっぱいだったため、添田駅の日田彦山線ホームは駅舎から遠く離れた位置に作らざるを得なかったということが原因のようです。九州北部豪雨により、添田駅~夜明駅は不通となっており、鉄道での復旧は断念したということです。
日田彦山線の筑前岩屋駅~大行司駅に架かる3つのめがね橋は、昭和18年に完成した多連アーチ橋で、近代土木遺産にも選ばれています。「無筋コンクリート充腹アーチ橋」と呼ばれています。もう列車は走らないようですが・・・
日田彦山線のBRTを使った復旧計画ではJR九州は釈迦岳トンネルの前後部分7.9kmをバス専用道として整備し、ほかは一般道を走る計画だということです。
2009年には止まっていた、彦山駅にももう列車は来ない・・・
昭和54年の路線図です。
上山田線・漆生線・添田線・宮田線・室木線などが存在していました。
現在は田川線・糸田線・伊田線が平成筑豊鉄道に代わっています。
3.平成筑豊鉄道
田川伊田駅から第三セクターの平成筑豊鉄道で行橋に向かいます。
平成筑豊鉄道の社名は1988年に一般公募し、翌1989年(昭和64年)1月7日が社名決定日でした。
社名の最終候補に残ったのは「新筑豊」「向陽」「あけぼの」「サンライン」の4つで、いずれの候補にも「新たなスタート」という共通した意味合いがありました。しかし、1月7日に昭和天皇の崩御で新元号「平成」が発表されるや否や、急遽「平成筑豊鉄道株式会社」に決定したということです。
直方行きの列車が先に発車していきました。このあたりの路線図が複雑でどの列車がどこに行くのかよくわからず、行橋にいくつもりがあやうく直方へ行ってしまいそうになりました。
交換施設のある駅はどこも広く、まるで北海道の鉄道のようです。
この風情はなんとも言えません。
行橋駅に到着。
行橋駅は高架式でJRのホームと改札を経て直接つながっています。
となりのホームにはソニックがやってきました。筑豊の各駅とはあきらかに景色が違います。
4.篠栗線と筑豊本線(福北ゆたか線)
2001年10月までディーゼル列車王国だった筑豊本線の折尾駅 ~ 桂川駅間と篠栗線全線が電化されました。それに合わせてこの路線を福岡市・北九州市・筑豊地区(豊(ゆたか))を結ぶことから「福北ゆたか線」と呼ばれることになりました。
九州以外の人にはピンとこないかもしれませんが、この路線は完全に福岡近郊路線になっており、昔の筑豊の鉄道という感じはまったくありません。
博多駅も立派になりましたが、駅ビルや地下街が充実している札幌駅と比較すると少し劣るかな?都市としての賑わいは福岡がやや優勢かな?都市圏人口が違うから仕方がないと思います。
筑豊本線との接続駅桂川駅には面白い売店がありました。
新飯塚はマンションが立ち並んでいて福岡の通勤圏であることがよくわかります。近くに大きなボタ山があるはずなのにまったくわかりません。同じように考えていた筑豊地方、福北ゆたか線沿線と日田英彦山沿線とはあきらかに異なります。九州において福岡都市圏がいかに強力かが理解できます。
下の写真は2009年の折尾駅です。当時は十字に立体交差するかっこいい駅でした。立体交差はなくなったものの、駅舎は2021年1月2日に当時の姿を踏襲した新駅舎が開業したということですが、今回はいけませんでした。
新駅舎は北口仮駅舎の西側、鹿児島本線と筑豊本線(若松線)の高架分岐部分に建設され、これが完成したことで東口・西口・鷹見口・北口と分散していた出口が新駅舎の一カ所に集約され、高架下に通路が確保される形になったということです。機会があればまた訪ねてみたいですね。