1.新潟の県境
新潟県境は北から山形・福島・群馬・長野・富山と名立たる山岳県と隣り合っています。
県境越えは親不知・上越国境・八十里越など険しいところばかりです。姫川・関川・信濃川・阿賀野川・荒川沿いの県境も厳しい所となっています。
ところが
写真のように新潟最北の山形県境だけは集落の中にあるのです。
2. 新潟山形県境 鼠ヶ関と伊呉野
いつも、なんとなく越えていた山形県境。
いつ越えたのかわからないまま・・・いつも通過していました。
県境の場所は、山形県の鼠ヶ関の手前にあり、その集落すべてが山形県鼠ヶ関と思い込んでいたのです。しかし、なんでもない集落の中に山形県鼠ヶ関(鶴岡市)と新潟県伊呉野(村上市)が存在していたのです。
集落の住民が行政上の手続きをする場合、鶴岡へ行く人と村上にに行く人に分かれるわけで、行政サービスや税金も異なるでしょう。ゴミの収集とか学校とか、どうなっているのか?そして何より東北と北陸(または関東甲信越・中部)という心理的な壁はないのか?と気になってしまいます。
それではなぜ、山形新潟県境が集落の中にできてしまったのでしょうか?
平安時代に遡ると東北には太平洋側に勿来、中通りに白河、そして日本海側に鼠ヶ関(当時は念珠ヶ関?)があったようです。
1968年に発掘調査が行われて存在が確認され、鶴岡市指定史跡「古代鼠ヶ関址」となっています。
江戸時代には「念珠関」「念珠ヶ関」と表記されていて、現在の県境より1kmほど北にあったとか。1872年(明治5年)に関が廃止されるまで、北国街道と羽州浜街道の境になっていたということですが、この1Kmが謎となっています。
普通なら、「関」を境に集落を分けるか?集落ごとどちらかの行政区画にいれるか?と考えてしまいますが、なぜ?こんなことになってしまったのでしょうか?
図書館やネットでいろいろと調べてみましたが、真実はよくわかりません。
県境周辺に人がいなかったこともあり、その謎を聞くことができませんでした。私の想像を書くとややこしいことになると思うので止めておきます。
但し、県境周辺の道路を見る限り県境の壁はまったく感じませんでした。舗装の継ぎ目もなく建築物に関しても何の違和感もなく一つの集落として存在していました。
しかし、鼠ヶ関の知名度が圧倒しており伊呉野の存在感のなさが気になりました。
3. 県境付近の海
県境付近の海は大きな川がなく透明度は抜群です。本州では日本トップクラスだと思います。
イシダイの幼魚は人懐っこくいつも絡まれています。
魚影の濃さはピカイチです。
魚影と戯れながら泳ぐ快感は言葉にはできません。山スキー・山ボードのツリーランと同じような感覚かな?
新潟の海はほとんど、SUP+シュノーケリングで遊んでいます。
モアイ像発見!
銭形警部(ルパン三世)とかダイス船長(未来少年コナン)とも・・・