1.戦争とドボク
この非常事態に戦争を語るのはどうかと思いますが・・・
太平洋戦争(第二次世界大戦)で、アメリカ軍が日本軍のたてこもっていた島を占領すると、すぐにブルドーザで整地をはじめ、飛行場を作り上げました。作った飛行場を拠点に、別の島へ出撃して行くのを見ていた捕虜が「戦争はドボクなんだ」とつぶやいたという話があります。
中国が武漢でコロナ対策として1週間で病院をつくってしまった・・・と似ているような・・・
転勤族の私、戦争に関する施設をそれなりに見学してきました。印象に残ったそれらの一部を振り返ってみたいと思います。
近代以降、戦争と産業を結びつけようとすると、まず思い浮かべるのが武器とそれを搭載する戦艦・戦車・戦闘機だと思います。それら「動力機械モノ」を展示する施設は多くあるのですが、「土木モノ」はどうなんでしょうか?戦艦が発着するには港が、戦闘機が発着するには空港が、陸上武器を運ぶのには道路が、それらをつくるのには工場が必要です。またそれらを秘密裏にするために地下施設が必要となってきます。それらはすべてドボクの世界だと気づくのです。
そもそも「動力機械モノ」がなかった近代以前の時代は、戦争=ドボクだったといっても過言ではないと思います。代表的な事例が秀吉の「備中高松城の水攻め」ではないでしょうか?今回は近代以降の戦争に関する施設を紹介したいと思います。
2.「機械モノ」メインの施設
2-1. ストックホルム武器博物館
近代以前から現代まで、様々な武器を展示する無料の博物館です。3階建てのこの博物館、規模的には大和ミュージアムに近い?
日本にはない展示内容が多く、特に寒冷地ならではの展示には興味をそそられました。
スウェーデンは第二次世界大戦では中立国で、元々戦争には縁のない国だと思っていたので意外でした。複雑なヨーロッパの歴史を考えればスウェーデンが周辺諸国と戦争を行っていたことは容易に理解できるでしょう・・・なんて世界史を勉強しなかった私が言うことではないと思いますが・・・
ここでは人形をつかったリアルな展示が印象に残りました。
スキーと防毒マスク
スキーも戦争道具だったんですよね。
2-2. 大和ミュージアム
正式名称は呉市海事歴史科学館、2005年の開館です。これまで3回も行きました。
ザクっと戦争の歴史と船舶製造技術の歴史を知るには最高のミュージアムだと思います。
恥ずかしながら、ここで初めて回天のことを知りました。特攻って「零戦」だけだと思っていたので「回天」や「震洋」の存在は衝撃でした。
2-3. てつのくじら館
正式名称は海上自衛隊呉資料館で海上自衛隊の広報施設です。
潜水艦映画が大好きな私には、ヨダレが出るほどのワクワク施設です。
自衛隊の広報施設は山ほどありますが、ここが一番!
2-4. かかみがはら航空宇宙博物館
1996年開館で2018年にリニューアルして1.7倍の規模になったようです。私が訪れたのは2003年だったのですが、他の航空科学館と比較して軍用飛行機の展示が多いように感じました。
2-5. 石川県立航空プラザ
自衛隊機の展示も多く、2階の航空機の歴史コーナーは分かりやすく、なかなかいい内容です。
3.「ドボクもの」メインの施設
3-1. 「回天」訓練基地跡(大津島)
「回天」の訓練基地跡は徳山港から船で40分の大津島の南端に存在、近くに1968年開館の回天記念館があります。
回天の最高速度は55km/hで23Kmの航続力があったそうです。ハッチは内部から開閉可能でしたが、脱出装置はなく、一度出撃すれば攻撃の成否にかかわらず乗員の命はなかったのです。
訓練コースは3コースあり、訓練中になくなった訓練生がなんと15名!あまりにも命が軽すぎる・・・
回天による戦没者は、特攻隊員や整備員など145人だそうです。
3-2. 大久野島
1929年~1945年まで陸軍の毒ガス工場が存在していました。
島内に1988年開館の大久野島毒ガス資料館があります。
ここは「地図から消された島」「ウサギの島」として有名になっています。海外の人も多い。
作られていた毒ガスの種類は血液剤、催涙剤、びらん剤、嘔吐剤の4種で、戦争末期には風船爆弾の風船部分も作られていたそうです。ウサギがたくさんいて気持ちのいい島ですが、戦争遺構もたくさん残されています。ここで働いていた人の後遺症については容易に想像できます。
竹原市の忠海港から船で15分で行くことができます。
3-3. 松代大本営跡(象山地下壕)
太平洋戦争末期、政府の中枢機能移転のために掘られた地下施設跡です。
松代が大本営に選ばれた理由は以下のとおりです。
本州の陸地の最も幅の広いところにあり、近くに飛行場がある。
固い岩盤で掘削に適し、10t爆弾にも耐える。
山に囲まれていて、地下工事をするのに十分な面積を持ち、広い平野がある。
長野県は労働力が豊か。(実際には朝鮮人の強制労働が多かった)
長野県の人は心が純朴で秘密が守られる。
信州は神州に通じ、品格もある。
松代に縁起の良い、松という文字が含まれていた。
しかし、工事の75%まで進んだところで終戦。本当にむなしい施設であります。
3-4. 志免鉱業所
遠くから見ただけで「あれなんじゃ?」的な廃墟、志免鉱業所竪抗櫓。
国営の炭鉱跡であるが、海軍によって開発された軍事施設なのです。
貴重なエネルギー源であるこの炭鉱施設、終戦後は海軍から国鉄に移管されたということです。
重要文化財に指定されているので、当面は朽ち果てた末に撤去されることはないでしょう・・・
3-5. 針生無線搭
海軍の無線送信所として1922年に完成。現在は電波塔としての役割は終わっています。
まもなく築100年ですが、まだまだ限界はこないようで、素晴らしい材料(コンクリート)と施工が実施されたということでしょう。今後の長寿命化の参考になるのでは?
3-6. 大谷石地下採掘場跡
1919年~1986年までの約70年をかけて、 大谷石を掘り出して出来た巨大な地下空間(20000㎡)で、戦争中は地下の秘密工場として、戦後は政府米の貯蔵庫として利用され、現在では、コンサート、美術展、演劇場、 地下の教会、写真や映画のスタジオなどとして利用されています。
1943年は陸軍の地下秘密倉庫で、1945年は中島飛行機(現 SUBARU)の地下軍需工場でした。
1979年から大谷資料館として、地下採掘場が一般公開されています。
これほどの地下施設、なかなか見ることはできません。軍需工場になったというのは理解できます。なぜ?大本営の候補地にならなかったのでしょうか?岩盤が弱いから?
3-7. 呉基地
1889年の呉鎮守府から始まり、1954年から海上自衛隊の基地として潜水艦や護衛艦が停泊しています。
アレイかすこじまから見る潜水艦は圧巻です。
東洋一の軍港「呉」には、他にも見どころがたくさんあります。
3-8.横須賀基地
海上自衛隊の横須賀基地、アメリカ海軍第七艦隊の基地でもあり空母ロナルドレーガンの事実上の母港となっているようです。
私個人的には三笠記念館がお気に入りです。
日露戦争を知るにはここが一番?
3-9. 佐世保基地
佐世保勤務時、佐世保湾の全景が見えるところに現場事務所を構えました。毎日みていた風景です。佐世保も横須賀と同様、自衛隊とアメリカ海軍第七艦隊の基地があります。市街地に海上自衛隊佐世保史料館があり、大日本帝国海軍に関する情報が満載です。
4. 「建築」メインの施設
4-1. 旧江田島海軍兵学校
1876年~1945年の第二次世界大戦終戦まで存続した、大日本帝国海軍の将校たる士官養成を目的とした教育機関です。
その規模ではイギリスの王立海軍兵学校、アメリカの合衆国海軍兵学校とともに、世界三大士官学校のひとつにも数えられ、12433名もの卒業生を輩出しています。エリート養成学校でもあり、施設の立派さは半端じゃないです。日本ではない雰囲気を醸し出しています。ゆえに鼻持ちならないやつもたくさんいたとも・・・
現在は、海上自衛隊第一術科学校や幹部候補生学校になっているということです。
こんなところで学んでみたいですね・・・軍事はいやですが
4-2. 広島被爆施設
原爆ドーム
最近、ノコラス・ケイジ主演の「パシフィック ウォー」という映画を見ました。アメリカ海軍のインディアナポリス号の極秘任務「原爆の輸送」とその後のインディアナポリス号の「悲劇」を描いた戦争映画です。裁判の後、インディアナポリス号の艦長と日本の潜水艦の艦長がお互いを称えあう場面に思わず涙・・・
原爆ドームをSUPやカヌーで水辺からみるのもなかなかです。
広島市郷土資料館は、旧陸軍糧秣支廠の建物で被爆建物です。
訪ねたときは、広島の路面電車100年展が実施されていました。
広島市江波山気象館も被爆建物です。
気象に関する博物館は珍しく貴重な存在です。
5.その他
5-1. 知覧特攻平和会館
誰もが知っている特攻基地 知覧。
その基地の跡はアメリカ軍の攻撃によって、跡形もなくなくなってしまたようです。
特攻隊員の遺品などが展示されており、語り部による語りが実施されていました。
相当重たい施設ではありますが、少し観光地化しているところが気になりました。そのようなところが回天記念館ほど心に響かなかったのかもしれません。
5-2 長崎平和祈念館
長崎も広島も修学旅行で来て、その後社会人になって再び訪れてようやく自分の心に落とすことができる施設だと思っています。死ぬまでに最低3回は訪れたい施設ですね。
5-3. 飯盛山 白虎隊自刃の地
白虎隊の7人が戸ノ口原の戦いにおいて敗走し、撤退する際に飯盛山(下の洞穴から出てきた)に逃れ、鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、「もはや帰るところもない」と自刃した地です。※1人は命をとりとめました。
10代の命を奪った日本人同士の戦争、それも自刃なんて・・・
土木工事でできた洞穴、これがなかったら彼たちのは死はなかったかもしれまんね・・・