①旧JR岩泉線
宮古市方面にクルマを走らせていたら、ふと廃線跡らしきものが見えてきました。
こんなところに鉄道走ってたっけ?
道路は国道なのに酷道みたいになってきて、どんどん険しい渓の中へ入っていきます。なのになぜ?こんなところに鉄道があったのか・・・
歴史を紐解いていくと、どうやら戦争と関係があったようです。
第二次世界大戦中のことですが、小本川上流で耐火煉瓦の原料となる耐火粘土が採掘されることから、これを輸送する手段つまり鉄道が必要だったということのようです。
この岩泉線、廃止されるまでは茂市駅で山田線から分岐し終点の岩泉までの38.4kmの路線でした。最初の開通は1942年茂市~岩手和井内で、目標の浅内駅の開業は遅れ、戦争中に開通することはありませんでした。その後、紆余曲折の末、岩泉町の中心 岩泉駅までつながったのは1972年でした。
しかし、沿線に集落はなく、廃止前の運行本数は1日わずか3往復と酷い状態でした。(多い時でも5往復だったそうです)
国鉄時代に特定地方交通線第2次廃止対象線区に選ばれていたのですが、並行する道路が酷道?(整備されていなかった)だったため、代替道路未整備を理由に廃止を免れていました。
しかし、2010年7月31日に発生した土砂崩れをきっかけにJR東日本は鉄道での復旧を断念し、残念ながら2014年4月1日に廃止されました。
その2014年度より、酷道からの脱却を図るために岩泉線の押角トンネルを道路用に拡幅するための事業に着手し、2020年度に供用開始予定となっています。
②岩泉線レールバイク
険しい山道を越えて、ようやくたどり着いた集落が和井内でした。
岩泉に全通するまで和井内以降が貨物輸送のみで営業されていたというのもよくわかります。
ふと立ち寄った旧岩手和井内駅ですが、おもしろいものを見つけました。
2014年の廃線で「廃線によって地域がどんどん寂れてしまう」と、立ち上がったのが地元の方々でした。
全国の廃線跡で行われているレールバイクに着目、地元企業が写真を元にレールバイクを製作し、有志による沿線の草刈りも行われて岩泉線レールバイクが誕生したということです。
土日祝日のみ運行で片道3km(冬期はお休みです)
1便10時発 2便11時発 3便12時発 4便13時発 5便14時発 6便15時
レールバイクは2人乗りと4人乗りが2台ずつの計4台。
どのバイクも1グループ、1台2,000円で、電動もあるそうです。
ホームが残っていました。
かつて岩泉線が分岐していたJR山田線茂市駅、現役です。
東日本大震災により、海岸沿いの山田線は三陸鉄道リアス線になったため、山田線は山田町を通らなくなり、路線名だけに「山田」の名前が残ることになってしまいました。
③三陸道の今
三陸道の建設、どんどん進んでいます。
三陸道、三陸自動車道とも言いますが、仙台市宮城野区を起点とし、岩手県釜石市で東北横断自動車道釜石秋田線と連絡し、岩手県宮古市に至る、延長248.1km の三陸縦貫自動車道が路線名となっています。
三陸縦貫自動車道・三陸北縦貫道路・八戸久慈自動車道の約359 kmの区間を総称して、「三陸沿岸道路」とも呼ばれています。
道路は基本2車線で、中央分離帯はラバーポール(ポストコーン)・ワイヤロープ・コンクリートブロックと様々です。
三陸自動車道は区間によって道路規格、道路管理者が異なる(宮城県道路公社、東日本高速道路株式会社、国土交通省)ため、最高速度が区間によって60・70・80・100km/hと異なっています。
利用者によっては非常に分かりにくいですが、1車線か2車線か、そして1車線の場合は中央分離帯の形状の違いで最高速度が変わると考えれば良いかと思われます。高速道路だと思って120km/hで走行してて、60km/hの区間で速度違反したら大変なことになるますぞ~
大槌地区は一般道を走ります。
子供たちと一緒に地域のラグビークラブ(神戸)に入っていたので、釜石でこの看板、刺さりました。
ラバーポールの代わりに設置されはじめたワイヤーロープ(下の写真)。
その理由は死亡事故の多さにあります。2015年には反対車線への飛び出し事故が334件発生。死亡事故の発生確率は4車線区間の約2倍に上っているということで、国土交通省も大きな問題として緊急に取り組んでいます。
このワイヤーロープですが、反対車線への車両飛び出しを防ぐほか、設置幅が少なく済むこと、車両衝突時にたわむことで衝撃を緩和すること、緊急時に人力のみで取り外して開口部をどこでも設けられることなどの長所があります。
下の写真のトンネルはラバーポールでした。様々な制約があってなかなか統一できないんですよね~
釜石道も開通したばかりです。
ラグビーワールドカップ2019に向けて2019年3月9日に全線開通しました。
釜石と言えばラグビーの松尾さんを思い出しますが、もうひとつ「釜石の奇跡」を思い出します。
海からわずか500m足らずの近距離に位置しているにもかかわらず、釜石市立釜石東中学校と鵜住居小学校の児童・生徒、約570名は、地震発生と同時に全員が迅速に避難し、押し寄せる津波から生き延びることができたという事実です。これは後世に伝えるべき物語でもあります。積み重ねられてきた防災教育が実を結び、震災発生時に学校にいた児童・生徒全員の命を大津波から守ったのです。
一例として、釜石東中学校の防災教育の狙いを挙げると
1.自分の命は自分で守る
災害時に自分で判断し、行動できることを目指します。
2.助けられる人から助ける人へ
小学生の誘導や災害後のボランティア活動など、中学生にできる活動を学びます。
3.防災文化の継承
地域に伝わる津波の恐ろしさと命を守る知恵を学び、次の世代へと引き継いでいけるように生徒を導きます。
津波にかかわらず、日本の各地で発生する自然災害を想定して、日本の隅々までこのような防災教育が実施されていくことを切に願っています。
最近よくみられるようになったのが、トンネル内中央分離帯のコンクリート防護壁(防護柵)です。
コンクリート防護柵は突破防止の抑止効果が高く、正面衝突のような重大事故を未然に防ぎ、さらに防護柵の形状(上の写真のフロリダ型と呼ばれるタイプ)により車両を元の車線に誘導することができ、乗員の安全性にも配慮しています。
また、車両が接触してもほとんど補修作業を必要としないため、渋滞、危険作業も不要になり、経済効果も高く、対面の高速道路では当たり前になっていくのかもしれません。但し、ラバーコーンのような手軽さがないので、いざという時の柔軟な対応が難しいということは覚悟しなければなりませんが・・・
大船渡~陸前高田付近は規格の低い道路が目立ちます。
南三陸付近は最近開通した区間が多く、比較的高規格でつくられています。
中央分離帯はほとんどがガードレールとなっています。
全線開通まであと少しになってきました。開通予定年度はまだわかりませんが、三陸が身近になったことは確かです。
時間があれば三陸道と一般道を上手に使って、観光など三陸経済に貢献していきましょう!