①ツインリンクもてぎ
オーバルコース(2.4km)とロードコース(4.8km)が一体となった世界でも珍しいサーキット、それがHONDAのツインリンクもてぎです。
とある施設の見学会があり、1泊2日でツインリンクもてぎに滞在することとなりました。
初日はなんと、インディカーシリーズが実施(東日本大震災の前まで)されていたオーバルコースをみることができました。
東日本大震災でできた段差により、300km/hを超えるような高速走行が不可能となり、現在はイベントやテストのみの使用となっているそうです。※補修はされているがレースが可能になるまでは修復されていないということです。
一般道であればまったく問題にならない段差(というより凸凹)なのですが、これを補修でレース仕様に戻すには莫大なお金がかかってしまいます。もったいないですね~但し、テストコースとしては最高のフィールドといってもいいのではないでしょうか・・・
1997年8月営業開始という、比較的新しいFIA公認サーキットです。
HONDAが、鈴鹿サーキットに続く2つ目のサーキットとして開発し、観客席数 グランドスタンド 18,122席 一般自由席(ロードコース) 80,000席という巨大施設となっています。国内にサーキット施設は数えきれないほど存在していますが、FIA公認のサーキットは6か所となっています。
FIA公認サーキットを開業順に並べてみました。ツインリンクもてぎは最後のFIA公認サーキットなのです。
鈴鹿サーキット(HONDA) 1962年 5.8km 161000人
富士スピードウェイ(TOYOTA) 1966年 4.5km 110000人
スポーツランドSUGO(YAMAHA) 1975年 3.7km 50000人
岡山国際サーキット 1990年 3.7km ?
オートポリス(KAWASAKI) 1990年 4.6km ?
ツインリンクもてぎ(HONDA) 1997年 4.8km 98122人
1990年以降の3箇所はバブル(1986~1991)とF1ブーム(1987~1993)の影響を大きく受けたと思われます。岡山国際とオートポリスはバブルど真ん中で営業を開始して破たん、そして復活後はほそぼそと営業継続中・・・
ツインリンクもてぎはバブル前に計画され、バブル崩壊後に営業を開始して誰もが遊べるモビリティパークとして現在も存在感を保っています。
巨大なサーキットを2つも持っているHONDAは、やっぱり他の自動車メーカーとは違いますね~
経営は苦しいと思いますが、本田宗一郎の精神がそうさせているのでしょうか?
施工ジョイント部分にできたひびわれです。一般道路では普通に放置されているひびわれです。
その後、バスでオーバルコースを1周しました!
それ以上のことは書けないので・・・
自由時間で、4輪の走行練習を見学させていただきました。走れるものなら走りたい・・・
ドライバーがどこまでストイックに取り組んでいるのかはわかりませんが、楽しそう~
1台コースアウト!
翌日は、バックに見えるホテルツインリンクを出て、バイクの練習走行を見学。
クルマより迫力があります。
バイクの方が格好いいと思ってしまうのはなぜでしょうか?
②ホンダコレクションホール
前々からずっと来たかったホンダコレクションホール。
ここにくると本田宗一郎のファンになってしまいます。
日本の名物経営者の物語は、感動させられるものばかりです。本田宗一郎もその一人ですよね。
クルマの修理屋から出発してモーターサイクルレース、そしてF1まで・・・夢を追いかけて世界のHONDAをつくった男。
これほど楽しい人生を送った人は、なかなかいないと思います。
このホンダコレクションホールは、1998年に開館。HONDA設立50周年を記念してHONDAの原点の心を伝える施設となっています。
「製品は嘘をつかない。ほんとうにいいものなら、必ず成功するんだ」
「ホンダのみんなが何を考えてつくってきたか。みんなのつくったものを皆さんにお見せすればいい。こんな正直なホンダはどこにもないぞ」 本田宗一郎のこの言葉が、この施設のそもそもの発端だということです。
「バリバリ伝説」世代の私としては、結構萌えるものがあります・・・
私、最初に乗ったバイクが友達に借りた50CCのオフロードバイクSUZUKIのTS50R(ハスラー)でした。いきなり飛ぼうとしてぶっこけたことを覚えています。初めて買ったバイクはYAMAHA XJ400、2台目はヘアピンカーブでぶっこけ&岸和田のヤンキーに盗まれたHONDA VT250F、3台目は阪神大震災で大活躍したYAMAHA SEROW225でした。
懐かしいVT250Fとご対面~
F1も見てたな~セナの事故は本当に衝撃でしたが・・・
【HONDAのF1】
1964年から1968年の第1期:シャシー、エンジン含め全て自社製造しフルワークス体制でチームとして参戦
1983年から1992年の第2期:既存チームにエンジンを供給するという「エンジンサプライヤー」としての参戦
2000年から2008年の第3期:当初エンジンのみを供給し、後にフルワークス体制のホンダF1チームに移行して参戦
2015年から現在までの第4期:エンジンとエネルギー回生システム(ERS)をパッケージしたパワーユニットのサプライヤーとしての参戦
いいクルマをつくるためにはF1も必要だと思います。ただ時代がそっぽ向いてるような気もしないではない・・・
F1にお金をつぎ込んでいて大丈夫?
自動車業界はCASE、つまりCのコネクテッド・Aの自動運転・Sのシェア・Eの電気自動車へ大きく動き始めています。
全交通産業を巻き込んでMaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)の動きも活発になってきました。究極のMaaSはすべての交通がシームレスでつながったDoor to Doorの定額料金による移動サービスです。このような時代になれば、人による運転はサーキットのみとなるかもしれません。自動運転車でツインリンクもてぎまで来て、人が運転するエンジン車で爆音を鳴らしながら、クルマやバイクを趣味として楽しむほのぼのとした光景が見られるのかもしれません??????
我々道路建設業界もこの動きについていかなければなりません・・・・・・・・・・・・・・