1. 2回目の犬島
犬島は、岡山県南東部の宝伝から南に約2.5km、岡山市唯一の有人島で、アートな島となっています。
かつて本島山頂にあった「犬石」と呼ばれる犬のうずくまったような形と、頭が乾(いぬい、西北)の方角を向いているように見える巨石に由来しているとか。下の写真の犬石はアートの一部で、なんの関係もありません。
SUP(スタンドアップパドルボード)で30分、定期船で10分ほどで渡れる素敵に?リニューアルされたお気軽に渡れる島です。
1回目の訪問は2015年9月で、SUPで島に渡り、島を1周して帰りました。
今回は、11月末の3連休で神戸の自宅に帰り、妻と「どっか行こか~」、「ほな犬島行こか~」的なのりで訪れました。
今回はSUPではなく、定期船です。ラクです!ヒザを痛めてまともに歩けない私には・・・
潮流も、風も気にせず、おきらくな島旅です。
妻は元カヤッカーなのに、SUPを完全にバカにしています。ちまちま、ちまちまシングルパドルを漕いで、それも立ち乗りで・・・何がおもろいの?と、いつも言われてます。
犬島では、あちこちで御影石が贅沢に使われているのがわかります。
この島は、良質な花崗岩(犬島みかげ)の産出で知られており、江戸城、大阪城、岡山城の石垣の切り出し場だったそうです。
船乗り場から犬島精錬所美術館までの道のりにも、「犬島みかげの土木構造物」を見ることができます。
この島を整備したお金はいったいどこから・・・ベネッセのみ?
現在の島の人口は47人といわれています。
想像通り、平均年齢75歳という深刻な過疎化・高齢化の島となっています。
犬島製錬所が操業されていた1909年からの10年間は、人口が3,000~5000人もいたとか・・・
現在は美術館になっており、「在るものを活かし、無いものを創る」という考えのもと、2008年に、犬島の近代化産業遺産である製錬所の遺構を保存・再生した美術館(犬島精錬所美術館)として開館したということです。
2. 昔名ながらの路地と現代アートが混在する風景
島の路地をブラブラ歩きます。
路地と言えば京都が好きですが、島の路地歩きも大好きなんですよね~
昔の郵便局?
きれいに保存されていたので、芸術祭のときに活用されているのかも?
路地を進むと突然!へんな光景が・・・
正直言って、現代美術って良くわかりません。そもそも「美術」そのものが良くわかっていないので難解な現代美術なんてわかるわけないっていうのが本当のところでしょう。
インパクトがあるのは確かなのですが、これが何を意味するのか?
1995年現代美術家の柳幸典により、犬島プロジェクト構想が始まったようで、2002年7月に「犬島アーツフェスティバル」が開催され、2004年からは毎年夏期にアートプロジェクト「犬島時間」が開催されており、犬島の夏の恒例行事として賑わいをみせているようです。
また、2010年、アーティスティックディレクター・長谷川祐子氏と、建築家・妹島和世氏による集落再生プロジェクト「犬島『家プロジェクト』」が始動して、現在も進行中です。
鑑賞する人と作品、島の風景が一体となるよう、かつて建っていた民家の瓦屋根や古材、透明アクリルや周囲の風景を映し出すアルミなど多様な素材でつくられた複数のギャラリーを集落内に点在させ、新たな展示空間を創出しています。
2010年に開催された瀬戸内国際芸術祭では犬島に8万4000人(のべ)が来島したそうです。
島の様々なところから、煙突を見ることができます。煙突とアクリルアートのコラボです。
昔は公害の象徴だったようですが、現在ではアートのひとつです。「時代が変わる」とはこういうことなのでしょうか?
水糸を使ったアート。水糸がアートになるとは・・・
昔はよく現場で使ったものです。最近は赤が増えてきましたが、やはり水糸と言えば黄色ですね!
路地でも、「犬島みかげ」がふんだんに使われています。
採石は1898年頃から本格的になり、1902年には15万5894人の「石工」、1531人の「大工」、19万7723人の「人夫」が犬島に渡ったといわれ、犬島は「築港千軒」と呼ばれ、常時5000人から6000人ほどが居留し、港周辺には歓楽街も形成されたとか。
この「犬島みかげ」、大阪港の整備など明治時代の土木に大きな貢献をしたということは間違いないようです。
島の道路の舗装は、コンクリートが多く使われていました。現地で製造できないアスファルト舗装は困難ですから・・・
小さな湾のある集落から、島の反対側抜けてみます。
トベラの実がジュクジュクです。このネバネバを利用して鳥たちに種を運んでもらう種子の戦略です。
前回もここに来ました。四国側の瀬戸内海がいい感じです。
最近は日本海ばかりみているので、久々の瀬戸内海とその島々の風景やっぱいいですね!
遠くからみると座りたくなるのですが、近くにいくと座る気がしない、不思議な椅子です。
採石場跡地の池と精錬所美術館です。
1909年に地元資産によって建設された犬島製錬所は、煙害対策や原料輸送の利便性から、この犬島に建設されたものの、銅価格の大暴落によってわずか10年で操業を終えたということです。採石と精錬所で栄えたのは一瞬だったのですね・・・
人が少なくなった島をアートで再生。
越後妻有と同様、地域活性化にはつながっていると感じました。
現代アートがわからなくったっていい、島に渡ってブラブラしているだけでなんとなくいい気持ち・・・それでいい!
残念なことに、時期がわるかったのか、食事できる店がほとんど閉まっていました。
次は、日本海の粟島か飛島にでも行きますか・・・
3. 海かと思ったらメガソーラー「瀬戸内メガソーラープロジェクト」
犬島の帰り、牛窓で食事をして神戸に帰る途中、海をみているつもりが・・・
なんじゃこりゃ?
2018年10月1日、瀬戸内市が所有する約500ha(東西2.8km南北1.8km)の東洋一の塩田「錦海塩田跡地」のうち約260haに、出力約230MWの「瀬戸内Kirei太陽光発電所」が操業を開始しました。日本最大ではなく日本最大級だそうです。