1. 古町どんどん

 

古町がどんどん・・・???

 

「古町どんどん」

古町通商店街(新潟市)で年に2回開催されているイベントらしい・・・

賑わっていたので、なんとなく「ほっ」としました。

 

 

田中角栄さんが脳梗塞で倒れ、関越自動車が全線開通した昭和60年、私は新入社員として新潟市に1ヶ月滞在しました。

その頃、この古町は賑わっていました。毎晩飲み歩いて、はしゃいでいたあの頃、人口47.6万人(当時)の地方都市にしては大きなまちだな~とびっくりしたのを覚えています。

 

 

Negiccoのライブもあるらしい・・・私、アニメとアイドルは大の苦手でその価値がよくわかっていません。

屋台も???な感じで、ここでお金を落とそうという気がおきません。なんつったって「おひとり様」ですから、しょうがないですよね・・・

54歳の「おひとり様」も悪くないですよ。転勤族(単身赴任)のいいところは、子ども達が大きくなって家族でお出かけがなくなっても、「おひとり様」に慣れているので、それほど寂しくならないところでしょうか?元々子どもの頃から群れるのが苦手だったので、あまり誰かを誘うこともなく、いつも「おひとり様」だったような気がします。

 

 

今日は店舗が隠れていますが、老舗の書店「萬松堂」も賑わっていました。この時代に老舗書店が健在なのがうれしいですね。創業は江戸末期だそうで、今後も老舗の本屋としてその存在感を示し続けてほしいです。そういう私、いつも駅前のジュンク堂ばかりで・・・ごめんなさい。

 

 

2. 新潟日報の見出しに驚き

 

9/27の新潟日報一面の見出しは「新潟三越閉店へ」(帯の幅38mm)でした。

7/8の「西日本豪雨51人死亡」(帯の幅42mm)、9/7の「北海道震度7」(帯の幅46mm)と比較して、正直驚きました。

新潟三越の閉店は誰もが予想していたはずで、これほどのインパクトで報道するとは・・・

このような報道は不安を煽るだけではないかと思ってしまうのですが、「新潟市民よ、新潟経済界よ、なんとかせんかい!」と激をとばしているのか?とも受け取れます。

 

 

NEXT21の手前にあった金沢基盤の百貨店、新潟大和(平成22年閉店)、今は跡形もありません。元々は昭和12年萬代百貨店として開業したということです。

 

 

古町のランドマークNEXT21の向こうに新潟三越が見えます。

高さ125mのNEXT21は平成6年開業で、ラフォーレ原宿(平成28年閉店)がはいっていました。いつのまにかコメリ書房もなくなってました。

 

 

西堀通りには立派な地下街があります。かつてはNEXT21・新潟大和・新潟三越とつながっており新潟一の繁華街の中心的存在であったのでしょう・・・

 

 

それが今では、「古町どんどん」というイベントがあっても閑散としてしている。

札幌の「チカホ」のように、JRの駅とつながっていれば・・・

鹿児島・熊本・長崎・広島・岡山のようにJRの駅と繁華街がチンチン電車でつながっていれば・・・

 

 

三越の入口付近にくると少し人が増えました。しかし、三越の地下食品売り場のしょぼさはピカイチ!

これじゃあ、人は来ないわ・・

 

 

この三越もなくなってしまう・・・

 

私は子どもの頃、休日になるとスキーと鉄道と百貨店好きの祖父に連れられ、鉄道を使って神戸・大阪・京都の百貨店巡りをしていたこともあり、日本全国地方都市の駅・書店・百貨店巡りを小さな趣味としております。買い物はしません、店のつくりとお客さんを観察するのみという怪しいオッサンです。余談ですが私、見た目とは異なり、父がしていた典型的なオッサンの遊び(酒・たばこ・パチンコ・マージャン・競馬類)は絶対にしないと、子どもの頃に固く決めていたので、お酒以外はやっていません。私の趣味はスキー・鉄道旅行・まち歩き・お店巡りなど祖父の影響を濃く受けています。したがって土木業界に入って本当に苦労しました。先輩方の大半の趣味が「のむうつかう」でお酒は無理矢理飲まされるわ、休日はないわでノイローゼになりそうでした。今は本当にいい時代になりました!よね?

アクティブ系・○○巡りの遊びは、オッサンの夜遊びやゴルフと比較してお金がかからないと思います。子どもの頃の経験って本当に大切ですよね・・・私は父を反面教師に、祖父を教師にしていましたが、私の子ども達はどうなるんでしょうか?二人ともまちづくりや政策に興味がありそうなので、反面教師ではないかも・・・

 

 

3. エリアマネジメント

 

エリアマネジメントとは、公共空間等を活用し、都心や中心市街地に活気を取り戻す公民連携の仕組みです。

特定のエリアを単位に、民間が主体となって、まちづくりやマネジメントを積極的に行おうという取組みで、大都市の都心部、地方都市の商業地、郊外の住宅地など、全国各地の様々なところで実施されています。札幌の「チカホ」はエリアマネジメントの成功例といえるのではないでしょうか?

簡単に言えば、みなで「まちの価値を高める」ということです。

私も毎年「新潟まつり」に参加していますが、まつりの時しか行かないまちってなんなの?っていう事です。

 

 

新潟には何がある?

信濃川がある、やすらぎ提がある。ここでは公民連携の事業(写真はミズベリング)が始まっています。しかし、古町とはつながっていない・・・

 

 

やすらぎ提、自転車で走ると気持ちいいのです。しかし、古町とつながらない・・・

 

 

ではでは、古町には何がある?

白山神社から古町をつなぐ古町通りの商店街には個性的なお店も多く、小路(こうじ)巡りも楽しいのです。新潟市では、2007~2008年にかけて本町通り沿いの小路に「小路案内板」を設置しています。またオシャレなイラストが満載のパンフレットもあるので、それらを使って小路巡りをするのも効率的です。※私は行き当たりばったりで発見するのが好きなので、参考にはしても現地では使いません。

 

 

新津屋小路にある人情横丁、今日はみんな閉まっていました。ここもえ~感じです。

大正~昭和初期頃、この建物があった所に堀があって、船で運ばれた野菜・魚・穀類を売買する朝市が毎日開かれて、たいへん賑わっていたそうです。

 

 

新潟市のメインストリート柾谷小路を越えて鍋茶屋通を歩きます。古町の飲み屋街は京都のような風情で、他の地方都市にはない魅力を保っています。お昼に歩いても、他の都市で見られる飲み屋街の汚さを感じません。こんな品の良い飲み屋街をみたことがありません。

 

この周辺は、かつては日本有数の遊郭で江戸時代初期には、京都・大坂・江戸の三都に次ぐ番付だったとか・・・

市内の堀が整備され新潟港に北前船が寄港するようになると一帯は更に発展を遂げたそうで、明治時代に大火などの影響もあって遊郭は移転し芸事が中心の花街へと変化して、現在に受け継がれています。

 

 

昭和初期には新橋・祇園と並び三大花街と呼ばれるほど栄え、現在においても鍋茶屋など高級料亭が12軒も営業しています。

堀を復活させて祇園白川や柳川みたいになれば・・・と思いつつ

 

 

海側の砂丘方面に行くと、地獄極楽小路の横には高級料亭の行形亭、そして北方文化博物館新潟分館、旧齋藤家別邸、旧小澤家住宅があります。また、どっぺり坂を登ると砂丘館(旧日本銀行支店長役宅)があり、芸術的なイベントが開催されているなど、文化的な施設がぎゅっと詰まっており、一日かけて日本酒をちびちび飲みながらぷらぷら散策するのもいいんじゃないっ?

観光客こないかな~

どう考えても金沢には勝てないだろうけど、ちょっとした工夫や仕掛けがあれば意外とインバウンド、いけるかもよ・・・

なんて考えながら村上の灯篭まつりに向かうのです。