1. 日本の道100選「磐梯吾妻スカイライン」
「観光道路」を考える第三弾。
過去二回はマイナー路線(無料道路)を紹介しましたが、今回は「観光道路」の草分け的な「磐梯吾妻スカイライン」を走りながら考えてみました。この道路、東北で「一番好きな道」です。
入口には「日本の道100選」という看板が立っています。
「日本の道100選」は地域のシンボルロード的な存在で、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定されました。1986年度に歴史性および親愛性を基準に53本、1987年度に美観性および機動性を基準に51本の104本の道路が選定されています。リストをみて???となるのが正直なところです。というのは、日本の道100選の選定基準は、文化庁が選定した「歴史の道百選」や、国土交通省が選定した「歴史国道」とは異なり、必ずしも「歴史」や「文化的価値」にこだわっておらず、「景観に優る」ことや「周辺環境と調和する」ことは当然のこととして、「地域の人々にどれだけ親しまれた道路であるか」が最大の選定基準となっているからなのです。
土湯峠と安達太良山方面の風景です。道路は吾妻小富士のある浄土平を目指して、尾根伝いにグングン登っていきます。
1981年(昭和56年)16歳の時、キャンプ道具一式を積んだ総重量40~50kgの自転車での標高差1555m(1622m-67m)の登りはなかなかのものでした。福島側から登って磐梯側への下りは、自転車のサイドバックをアスファルト舗装に接触させつつ、更にリーンインしながら「うひょ~」と叫びながら爆走したことをよく覚えています。
当時は有料道路で、普通車は1,570円で自転車は150円でした。当時の貨幣価値を考えると「めっちゃ高い!」
この道路の歴史ですが、当初、福島県が1953年(昭和28年)に吾妻連峰から裏磐梯地方の観光・産業開発を目的に県道福島・吾妻・裏磐梯線(磐梯吾妻スカイライン)として着工しました。しかし、建設途中の1957年(昭和32年)に日本道路公団が工事を引き継いで、1959年(昭和34年)11月に開通させたということなので、「有料」は納得ですかね?
※この道路、東日本大震災後の2011年から無料化されています。
舗装修繕工事が終わった「タコカーブ」。区画線は休日明けでしょうか?
右側にそびえ立つ磐梯山を見ながら、2つのヘアピンカーブを越えて行きます。山岳道路をこのような視点から見ると少し痛々しい感じがします。
「双竜の辻」と呼ばれるところでは、道路が3層になっています。勾配の緩和だけでなく、道路から見る「景観」を重視しているとも言えるでしょう。土木には「景観工学」というものがあります、土木における景観研究は「道路」から始まり、最初の事例は名神高速道路だと言われています。どうやら「磐梯吾妻スカイラン」の他、昭和20年代から30年代にかけて全国各地でつくられた有料の観光道路は、景観工学に基づいてつくられたものではないようです。
「景観」は視覚的アプローチ(よい眺め)・身体感覚的アプローチ(居心地のよさ)・意味的アプロ-チ(らしさ)という3つのアプローチから考える必要があります。そのような点から評価(あくまで個人的な感想)すると、この磐梯吾妻スカイラインはこの3つアプローチから設計・施工が行われたような気がします。
2. 「有料道路」と「観光道路」
日本に有料道路制度が設けられたのは、戦後日本の苦しい財政事情が背景にあり、それが大いに関係していると言われています。最初の有料道路は三重県の参宮有料道路で、1953年(昭和28年)に伊勢神宮の式年遷宮の際に建設されました。2番目が、1954年(昭和29年)日光いろは坂(既存道路の改築)となっています。
但し、歴史を遡ると1871年(明治4年)の太政官布告により、道路、橋梁などを私財で建設して開設した者に対して、それらを利用する通行人から通行料を徴収することが認められたということで、東海道の中山峠(金谷 - 日坂間:3,663 m)に日本最初の有料道路が誕生しています。私が知っているところでは上越国境の清水峠にも私設有料道路が存在(明治23年)していました。これらの道路は、国と国をつなぐ重要な路線で明確な需要があってのことだと理解しています。※戦国時代は大名が私利におぼれて関所で過大な通行料を徴収し交通量が激減、経済全体が冷え込んだという話もあります。
「道路」と「経済」は、昔から親密な関係だったということです。
「観光道路」はいつから存在しているのでしょうか?
私個人の意見として、昔からなんとなく存在していたと思われますが、明確になったのは1953年の参宮有料道路からではないでしょうか?つまり観光のためにつくられた「有料道路」が「観光道路」と位置づけられるようになったと推察されます。
私が若かりし頃(昭和40~50年代)、「観光道路」らしき道路のほとんどが「有料道路」でした。
そもそも「有料道路」とは?→その通行・利用に際して利用者から通行料を徴収することのできる道路である、とされています。
また、「観光道路」とは?→産業利用ではなく観光が主な建設目的の道路である、とされています。
「有料道路」と聞いて思い浮かべるのは、主に「高速道路」ではないでしょうか?私のような中高年は「観光道路」を思い浮かべるのかもしれません。私が自転車で日本中を走り回っていた昭和50年代はまだ高速道路も少なく、「高速道路」は「高速道路」で、「有料道路」は「観光道路」という区別があったように思います。
この「磐梯吾妻スカイライン」、昭和34年に開通して普通車1,570円という高価な通行料金。
当時、クルマを持っている人はお金持ちしかいなかったから成り立ったのかもしれません。現在で考えるなら、クルーズ船やクルーズトレインで?十万円~?百万円の旅をする人達と同じようなものかもしれません。戦後の高度成長時代ですから、まだまだ趣味の幅も狭く、絶景が楽しめる山岳の観光道路に惜しみなくお金を払う人も多かったと思われます。そうなると観光で人を集めて地元の経済発展につなげようとどんどん山岳地帯に道路をつくろうとなるわけです。それが昭和時代の有料道路だったのかもしれませんね。
おそらく日本で、今後このような山岳観光道路を造る事はないでしょう・・・ ←個人的な希望もはいっています。
【当時は有料、現在は無料開放された思い出の「観光道路」BEST25】
1.やまなみハイウェイ
2.磐梯吾妻スカイライン
3.志賀草津道路
4.金精道路
5.ビーナスライン(霧ヶ峰)
6.アスピーテライン(八幡平)
7.生月大橋有料道路
8.寒風山有料道路
9.鳥海ブルーライン
10.蔵王エコーライン
11.いろは坂
12.乗鞍スカイライン
13.富士山スカイライン
14.パールロード(伊勢志摩)
15.但馬海岸有料道路
16.高野龍神スカイライン
17.阿蘇登山有料道路
18.秋吉台道路
19.蒜山大山スカイライン
20.雲仙道路
21.奥志賀林道
22.磐梯山ゴールドライン
23.磐梯吾妻レークライン
24.音戸大橋
25.越後七浦シーサイドライン
「磐梯吾妻スカイライン」の最高点は、標高1,622 mの浄土平です。駐車場は有料なので今回はパス。せこっ!
芸術的なヘアピンカーブを抜けると・・・
(近くで)火山ガスが噴出しているところを走ります。このような火山の荒々しい風景、関西でみることはできません。
全国で無料化された「観光道路」を上げたらきりがありません。
ではどうして有料の「観光道路」は無料化されていったのでしょうか?ここでは、民主党政権時代に話題になった高速道路の無料化とは切り離して考えていきます。
道路法に基づく道路は無料で供用されるのが原則です。簡単に言えば道路を利用する人の税金で成り立っていると言えます。
有料の「観光道路」はどうでしょう?一般の有料道路は、料金の徴収期間が定められたうえでその許可が受けられ、償還後は無料開放される前提で有料管理が認められているため、一定の需要が見込まれない場合はつくれないとも言えるでしょう。
つまり、これらの有料の観光道路はお金を払う価値のある道路であったということです。
しかし・・・
長く続いたデフレ経済、家に居ても暇を持て余すことのない便利社会のこの昨今、わざわざ1570円+ガソリン代を払ってこの道路を通るでしょうか?お金に余裕のある人ならなんの抵抗もなく払えるでしょうが、毎日の生活費(スマホなど通信費も含む)でいっぱいいっぱいの人にとっては少し厳しい料金だとも言えます。したがって、便利社会・成熟社会のこの時代、ある程度の観光客を確保するための「無料化」は自然な流れとも言えるのではないでしょうか・・・
3. リゾート開発と道路
バブル経済終盤の平成元年、月間「道路」1989年7月号(日本道路協会発行)の特集記事を少し振り返って見ましょう。
論壇:リゾート開発と道路
1. リゾート時代の到来
2. 外国に学ぶリゾート開発;地中海クラブ
3. 総合保養地域整備法(リゾート法)の概要と最近の状況
4. 「北緯40°シーズナルリゾートあきた構想」の道路への期待
5. 「マイ・ライフ・リゾート新潟」構想;健康な生命・ゆとりある生活・充実した人生の実現に向けて
6. リゾート事業と道路整備
7. リゾート開発における道路と環境その現状と未来;八ガ岳海の口自然郷を事例として
8. 東京ディズニーランド;アーバンリゾートとしての大成功の秘訣を聞く
9. 関越自動車道が観光動向に及ぼす影響
10. 本四開通によるインパクト
11. 余暇活動に配慮した道路の計画・整備
12. リゾート等の地域振興に資する道路整備;地域振興特別推進事業について
13. リゾート開発を支援する有料道路事業(NTT-A型)
14. 地域活性化プロジェクトにみるリゾート開発
15. 立体道路整備について
簡単に言えば「リゾート開発は道路網の構築がキーポイントになる」ということです。「道路」の影響力は絶大だということです。
さて、欧米先進国のような豊かさを目指す半面、不動産ビジネスで日本の国土や企業を攪乱させた「リゾート法」(1987年)は平成日本に何を残したのでしょうか?この法律が施行されて良かったのか?悪かったのか?
月間「道路」1989年7月号「リゾート時代の到来」の記事で、「わが国のこれからのリゾート開発への期待」を拾い上げてみます。
1. 高水準成熟社会、長寿社会、そして先進国を自認する日本国民すべてが、それぞれのライフステージで、真のゆとりと心の豊かさを実感し、人々と心から交流し、自然と共生し、充実した時間の消費ができるような舞台が、この国土の恵みの中に身近に創出されることへの期待。
2. 「第二のふるさと」が創出・提供されることへの期待
3. 地域経済や企業の新展開の方途のひとつとしてのリゾート産業の成立への期待
4. 地域振興の戦略的手段としての期待
5. 芸術・文化・学術を産み育てるパトロンとしての期待
6. リゾート空間からスタートして快適環境の中小都市が形成されていくことへの期待
7. 高速道路と高度情報通信のネットワーク形成を促進させるものとしての期待
8. 国土の環境保全や環境回復を推進させるものとしての期待
9. これからの日本の知的・感性的創造性の涵養のための空間的基盤としての期待
10. 日本の中に国際的比較に耐えられるもの、国際交流の拠点となるものを多様に、かつ各地に創出する装置としての期待
私の記憶では、「リゾート法」の後につくられた「観光道路」はほとんどないように思われます。つくられたのは観光地にアクセスするための高規格道路が大半で、快適に観光地にたどり着けるようになったという意味で、「道路」は大いに貢献したものと考えています。
平成が終わろう路している現在、身の丈にあわないリゾートは淘汰され、ゆっくりではありますが、上記の期待に近づきつつあるように思います。しかし、いくらハードが整備されて快適になったとしても、人は満足できるのでしょうか?
上の写真は標高1300m「天狗の庭」付近のヘアピンカーブです。
4. 旅先で、心に残るもの
16歳の時、親の反対を押し切って自転車で北海道を1周し、青森から八甲田山・八幡平等 奥羽山脈を縦断してたどりついた磐梯吾妻スカイライン。なぜ東北で「一番好きな道路」なのか?
当時、磐梯吾妻スカイラインの入口にあった福島YH(ユースホステル)。そこのヘルパー(女子大生)さんたちが、めちゃめちゃやさしくしてくれて、凄く気持ちよくYHを送り出してくれたからなのです。私の宿泊スタイルは野宿40%・キャンプ30%・YH30%でした。特にYHでの出会いは旅の充実度を何十倍にもしてくれます。特に北海道・東北は、自転車・バイク・徒歩・てっちゃんの領域を超えて、そこで知り合った人たちと妙なつながりができるのです。この福島YHは北海道の礼文島や知床にある超有名YHなどより印象に残っています。逆にその1日後に泊まった某YHは史上最低でした・・・
北海道礼文島の某有名YHの伝統はまだまだ残っているみたいですが、この福島YHは残念ながら今はありません。跡形も見当たりませんでした・・・みんな元気かな~
結局、旅って素晴らしい景色より、うまい食事より、出会った人々との交流が一番なのです!
「道路」はその出会いをつなぐ役割をしているのです。