1. 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」

 

「銀河鉄道の夜」は、貧しい少年ジョバンニが級友を救おうとして溺死した親友カムパネルラとともに、夢の中で銀河鉄道に乗って宇宙を旅するという幻想的な作品です。私、宮沢賢治という人にはなんとなく興味があるのですが、宮沢賢治の作品は正直よくわかりません。しかし、「注文の多い料理店」と「銀河鉄道の夜」はなぜかひっかかるのです。下の写真のコンクリートアーチ橋「宮守川橋(めがね橋)」は、その「銀河鉄道の夜」モチーフになった橋だと言われています。

 

 

「銀河鉄道の夜」は1924年ごろ初稿が執筆され、晩年の1931年頃まで推敲がくりかえされて、1933年の賢治の死後、草稿の形で遺されたということです。小説の舞台は、宮沢賢治の故郷にあった岩手軽便鉄道沿線風景をモデルにしたとされています。

 

 

2. 宮守川橋(めがね橋)

 

宮守川橋梁(めがね橋)は、岩手県遠野市宮守町下宮守にあるJR釜石線の鉄筋コンクリート充腹アーチ橋で、国道283号と宮守川を跨いでいます。1943年に改築されて現在までその姿を見せてくれています。

 

 

確かにこの宮守川橋、夜の幻想的な風景は「銀河鉄道の夜」を彷彿させてくれそうです。しかし、作品と現在の橋は時間的にリンクしていない(宮沢賢治は1933年に亡くなっている)ので???な感じではあります。おそらく宮沢賢治がモチーフにしたのは、手前に残っているレンガ積みの橋脚にかかっていた古い橋ではないかと思われます。したがって宮沢賢治は本当に宮守川橋をモチーフにしていたとしてもこの形の橋ではなかったということです。

 

 

3. JR釜石線(岩手軽便鉄道)

 

1911年頃から建設向けた動きがあり、1913年岩手軽便鉄道として花巻~土沢の12.7kmが開通しました。その後も少づつ建設が進んで1936年に国鉄釜石線となり、花巻 - 釜石間が全通したのは1950年と、比較的新しい鉄道路線となっています。

 

 

道の駅「みやもり」には、岩手軽便鉄道から国鉄釜石線への経緯や「銀河鉄道の夜」を紹介するコーナーが設置されています。

 

 

そこでまたひとつ発見があったのです。「銀河鉄道の夜」モチーフになった橋がもうひとつあるとか・・・なんじゃそれっ!

ということで、雨の中、その「岩根橋」を探すことになりました。

 

 

4. 達曽部川橋梁(通称:岩根橋)

 

その、もうひとつの橋「岩根橋」を訪ねました。

国道と平行しているのですが、平行しているからこそぼ~っとしていたら通り過ぎてしまうシチュエーションなのです。国道が橋の下をくぐる「めがね橋」は誰もが気づくのですが、この橋は見過ごされてしまう確率が高いと思われます。

 

 

橋全体が見られるところを探すためにクルマでウロウロして、ようやく橋のたもとに下りるところを見つけました。

 

 

橋を紹介する看板には

【宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」のモチーフとなったといわれる「めがね橋」(宮守川橋梁)がありますが、実はこの岩根橋(達曽部川橋梁がモチーフとされた、ともいわれている

と書かれています。本人がいないから、なんとでも言えるわな~

 

 

岩手軽便鉄道時代には鋼板桁橋であったものを1943年に国鉄が橋台・橋脚・鋼板桁橋を、なんと!そのまま包み込んで鉄筋コンクリート造りとしたものです。

 

 

橋脚部分にトンネル状の水抜き用と思われる窓が2つあり、この窓の間に軽便鉄道当時の橋脚が入っているようです。2002年に土木学会選奨土木遺産に認定されています。その頃、コスト的に過去の構造物をつつみこむような工法がはやっていた?というか、解体技術がまだ不十分だったということでしょうね。今後はセメントコンクリートやアスファルトコンクリートを解体してリサイクルするのではなく、今ある構造物をそのままリニューアルして使い続けるような更新技術がクローズアップされてもいいんじゃないでしょうか?