1. JR花輪線 十和田南駅

 

情緒豊かで優雅な盆踊り(男は黒紋付きに水色の蹴出し、女は襦袢に鴇色の蹴出し、近年は江戸褄、訪問着、小紋など晴れ着を着て、顔は豆絞りの手拭いで頬被りをするなど、地域的特色に富んだ伝統的な盆踊り)で有名な毛馬内に存在する十和田南駅。元々の駅名は毛馬内でした。

 

 

この駅は不思議な駅で、広い平地の中でスイッチバックするのです。普通、スイッチバック駅といえば大都市のターミナル駅か勾配のきつい山中の駅を思い浮かべるのですが、平坦なスイッチバックする途中駅は出雲の一畑電鉄一畑口駅以外記憶がありません。

では、なぜこの毛馬内にスイッチバック駅があるのでしょうか?

 

 

どうやら、現在は行き止まりとなっている北方向に路線を延ばす計画があったようです。駅の北側をみてみると北に向かってゆるいカーブの築堤が伸びてるのがわかります。これは廃線跡ではなく未成線の名残りのようです。

 

過去の資料を調べてみると、1922年に公布された改正鉄道敷設法の中の「予定線」として、「青森県三戸ヨリ秋田県毛馬内ヲ経テ花輪ニ至ル鉄道」が設定されていたようですが、この時代に国有化されておらず、この予定線の実現性は薄かったようです。

 

 

南側を見てみると、左の東側が鹿角花輪方面、右の西側が大館方面に分かれていきます。

東側の鹿角花輪方面にあるのが尾去沢鉱山で、未成の北側にあるのが小坂鉱山です。どうやらこの2つの鉱山を結ぼうとしていたのではないでしょうか?

 

 

鹿角市史によれば、十和田南駅を中央駅として鹿角花輪方面(尾去沢鉱山がある)を南線、小坂方面(小坂鉱山がある)を北線とする計画があったようです。しかし、鉄道敷設工事は南線のみの着工し開業にこぎつけました。ではなぜ北線がの着工が実現しなかったのか?資料によると、延伸先の地域住民の根強い反対と、当時の秋田鉄道の経営が苦しくなっていったためとも言われています。

 

 

2. 尾去沢鉱山

 

鉱物が溶け込んだ熱水が岩盤の割れ目に染み込んで固まった鉱脈型鉱床で、三菱財閥が開発に関わったこともあり、その規模は日本有数の鉱山でした。708年に銅山が発見され、1598年に南部藩の北十左衛門が白根金山を発見したことから、後に民謡『南部牛追唄』で「田舎なれども南部の国は西も東も金の山」と歌われる金山の一つとして開発が行われました。金が枯渇してきた1695年には銅鉱が発見され、別子銅山、阿仁銅山とならび、日本の主力銅山の一つとなりました。日本の近代化、戦後復興の礎となった尾去沢鉱山ですが、不採算と銅鉱石の枯渇から、1978年(昭和53年)に閉山しました。

現在は土木遺産・近代化産業遺産に選ばれて、テーマパークとして存在感を出しています。

 

 

3. 小坂鉱山

 
1816年に金・銀の鉱山とて開発が始まったといわれています。1901年には銀の生産高が日本一の鉱山となり、1907年には鉱産額で日本一を記録して、足尾鉱山(栃木県)、別子鉱山(愛媛県)とともに日本三大鉱山と呼ばれていたそうです。鉱山の○○一とか三大○○とかは多すぎてよくわかりませんが、それぞれの鉱山においてインフラ(鉄道・電気・上水道等)が整備され、また労働者を集めるために、山の中にアパート、劇場、病院等の近代的なまちづくりが進められたのもこの時代の特徴と言えるでしょう。

 

 

 

1909年開業の小坂鉄道はレールパークとして保存され、1905年竣工の旧小坂鉱山事務所・1910年竣工の芝居小屋の康楽館が、国の重要文化財としてその威容を残しています。

 

 

上の写真は芝居小屋の康楽館、下の写真は旧永楽町駅と旧小坂鉱山事務所です。

 

 

旧小坂駅構内には寝台特急「あけぼの」が展示されており、宿泊施設としてA寝台個室5940円(1部屋2名)、B寝台個室3780円(1名)で宿泊できるようです。

 

 

11号蒸気機関車と貴賓客車も展示されています。

 

 

構内は広く、様々な体験ができるようです。子供が小さい時は連れてきて一緒に遊ぶのですが・・・オッサン一人じゃ~怪しすぎる

 

 

なぜ?この鉄道が十和田南駅を目指さず、大舘駅を目指したのでしょうか?

よくわかりませんが、秋田第二の都市大館と小坂を結ぶ最短ルートを選んだということなのでしょう・・・

 

 

廃線跡というより、営業はしていないが線路を有効に使っていることがよくわかります。

 

 

旅客より貨物鉄道として有名だった小坂鉄道。

秋田県大館市の大館駅から秋田県鹿角郡小坂町の小坂駅に至る小坂製錬が運営していた貨物鉄道路線で、1989年に同和鉱業から小坂製錬が分離され、同社の小坂線となり、1994年10月1日に旅客営業が廃止されました。小坂鉱山の鉱石輸送や鉱山閉山後は主に濃硫酸輸送に使用されていましたが、2009年4月1日に全線が廃止されました。

 

 

大館市内でも線路はしっかりと残っています。

2014年11月2日に廃線跡を利用してパナソニックが、宣伝を目的に、EVOLTA単一乾電池99本で電車を走らせるイベント『エボルタ電池鉄道・廃線1日復活チャレンジ』を開催しました。電車はパナソニックと秋田県立大学が共同開発した独自製作のもので、時速6kmで目標の約8.5kmを走破したということです。

 

その大館市。鉱山の衰退がまちの衰退につながっている感がありありなのですが、秋田犬で盛り上がってますね・・・