1. JR北上線 2和賀川橋梁

 

下の写真は、JR北上線のほっとゆだ駅とゆだ錦秋湖駅の間にある「第2和賀川橋梁」です。湯田ダムによって造られた錦秋湖に、素晴らしい景観をつくりだしています。

 

 

この北上線、最初は軽便鉄道として開業し「横黒線」(1924年全通)と呼ばれていました。横手と黒沢尻を結ぶので横黒線(おうこくせん)でした。1954年に黒沢尻駅が北上駅に改称されたのですが、路線名が北上線になったのは1966年でした。東北地方は駅の改称が多い気がしますが、気のせいでしょうか?親しんだ駅の名前が変わるのはなんか寂しいですよね・・・

 

 

2. 北上線はなぜ?秋田新幹線になれなかったのか?

 

秋田新幹線の経路に疑問を抱いた方はどのくらいいるのでしょうか?

私は秋田新幹線に乗ったことはありませんが、地図をみると大きな疑問をもつことになります。なぜ?東京を発車した「こまち」は盛岡まで「はやぶさ」といっしょに走り、盛岡から単独で田沢湖付近から南下してわざわざ遠回りして大曲を経由して、1時間30~40分をかけて秋田までいくのでしょうか?どう考えても勾配が緩く秋田自動車道と平行して走る北上線経由が妥当だと思ってしまうのです。

 

この北上線、東北本線と奥羽本線を結ぶ路線の中でも線形が良く、陸羽東線や電化前の田沢湖線と異なり大型の機関車が入線できたことから、勾配区間の多い奥羽本線の輸送力を補う目的で東北本線直通の貨物列車が運転されていたほか、災害時などには優等列車、特に夜行列車(寝台特急あけぼの等)の迂回経路として用いられることも多かったのです。 

 

 

ではなぜ?北上線は秋田新幹線になれなかったのでしょうか?

まずは、田沢湖線が北東北の2つの県庁所在地、盛岡と秋田を結ぶ路線であったことから、1982年に電化工事が完了していたことです。非電化の北上線はトンネル断面が小さく、電化する場合は路盤を下げる必要があるので工事費が高くなります。それに対して田沢湖線は、先に電化されていたのでトンネル断面を変更する必要が無く工事費を抑えることが可能だったわけす。しかし工事費よりも列車運転の問題が大きかったようです。

新幹線から在来線が分岐する場合、輸送量の関係で分割併合運転が基本のミニ新幹線。将来的に分割する場所が北上で良いのか?盛岡が良いのか?東北新幹線は盛岡で大きく輸送量に段差が生じていることから、北上での分割は得策ではなかったと言えます。

また高橋優の出身地である横手より、田沢湖や角館といった有名観光地を経由したほうが得策だったとも言えます。

 

 

秋田新幹線開業や山形新幹線の新庄延伸によって仙山線や田沢湖線経由での直通迂回運転が不可能になる中で、大規模災害時に東北本線と日本海側との数少ない連絡路線として北上線の重要性は高まっている?と思いたいですね。

駅舎が温泉になっている「ほっとゆだ駅」にて・・・