1.  60歳になった関門国道トンネル

 

 関門トンネル60歳、おめでとうございます!日本が誇るべき世界初の海底道路トンネルです。

私は子どもの頃から関門トンネル(鉄道・道路)のファンでした。どうやって海の底にトンネルを掘るんだろう~と興味津々でした。

 

         

 

 その関門トンネル、鉄道トンネルの方が先に完成(昭和17年)しており、国道の方は着工から21年の歳月をかけて昭和33年3月9日に開通しました。鉄道トンネルと国道トンネルは別々の場所にあり、国道トンネルは高速道路の関門橋の真下を走っています。戦前に開通し、アメリカ軍による爆破計画もあったといわれる鉄道トンネルと比べ、なぜ国道トンネルの建設が遅れたのでしょうか?

 

 

 着工は昭和12年で、試掘導坑の掘削を開始し昭和14年に完了。本坑は昭和19年12月に貫通したのですが、トンネルの掘削に適さない地質であったことや、太平洋戦争による資材不足や工事中断などに見舞われ工事は困難を極めました。その後、昭和27年に道路整備特別措置法による有料道路としての工事を再開し、昭和33年の開通にこぎつけました。総工費は当時の金額で約57億円、延べ約450万人が工事に携わりました。この工事で亡くなった人は53名といわれています。

 

 

 当時、世界貿易大博覧会という一大イベントが開かれるなど、戦後の高度成長期の勢いが感じられます。戦後13年、生活は厳しいながらも希望に満ち溢れていた時代だったのでしょうね。

 

 

 このトンネル、海底トンネルであることからポンプが17台設置され、トンネル内に浸みだしてくる海水4800t/日を排水しています。一日4800tです。電気代、いったいどれくらいかかるんでしょうか?

 

 

2. もうひとつの関門トンネル、関門人道トンネル

 

 関門トンネル、実は歩いて九州と本州を行き来できるのです。料金ですが歩行者は無料、自転車・原付は20円で、自転車・原付はトンネル内を乗ることは禁止され、押しての移動となっています。東京のレインボーブリッジと似たような感じです。開通当時は本州から九州まで徒歩でも渡れるという話題性から全国から観光客が集まり、散歩を楽しんだといわれています。

 

 

 人道トンネルが別途設置されているなんて!なんとオシャレなトンネル・・・?

 実際は海底トンネルの特徴によるものなのです。海底トンネルは山岳トンネルより圧力が掛かる為、通常の山岳トンネルで見られる半円形の断面より、圧力に強い円形断面が良いとされています。このような断面となることから、道路の下の空間を活かして車道の下に人道を設け、上下2層構造としています。人道トンネルは幅4mで、海峡沿いの専用入口の地上からエレベーターでトンネルまで降りて海峡部分のみを歩けるようになっています。通行時間は午前6時~午後10時までとなっており、深夜は利用できません。

 

 

 さっそくエレベーターに乗って海底トンネルへ行って見ましょう。

 

 

 人道トンネルも国道2号線となっています。朝の6時でしたが、ウォーキングの人が何人かおられて門司と下関の間を行き来していました。5年くらい前に来たときはランナーの方の練習場になっていました。

 

 

 適度な勾配と幅員があり距離も分かりやすいのでランニングやウォーキングにはいいかもしれませんね・・・

 

 

3. 関門人道トンネルの決意(昭和58年1月7日)

 

 関門トンネルの関門とは?①下関と門司を結んでいるから関門なのか?②目的を達するのに突破しなければならない難所なのか?③または突破するのが困難な所なのか?私にとっては「目的を達するのに突破しなければならない課題を解決するための決意の場所」でした。

 関門人道トンネルには特別な想い出があります。時は遡って昭和58年1月7日、この関門海峡のど真ん中である決意をしたのです。自転車で下関~姫路間約450kmを24時間以内で走りきったら・・・


                                    (当時の写真)

 

 私には物心ついた頃から好きな女の子がいて、大人になったらこの子と結婚するんだと決めていました(笑)。年齢は同い年で家は隣で家族ぐるみのつきあいをしていて、小学校高学年くらいのときに九州に引っ越していくまで、その子とはいつも仲良く?ケンカしていました。その後もなんとなくつながっていたのですが高専1年になると、その子に会うため?とロードレースの練習を兼ねて、学校に通いながら自転車で日本一周の旅を始めることになりました。その頃から手紙のやり取りが頻繁になり、オフコースのテープを送ったり、詩を交換したり、北海道などの自転車ツーリングの様子を喜んで読んでくれるなどささやかな恋を楽しんでいました。その子はやさしく明るくていつも「私も連れてって」と言ってくれて、その言葉がめちゃくちゃ嬉しくて連れて行きたかったのに・・・気の小さい私ははずかしくてスルーしていました。17歳前後での自転車ツーリングとロードレースの経験は、まるで夢の中にいるようで楽しくて楽しくて、どんどん夢が膨らんで地球上(人力)で行けないところはないのではないか?ぐらいの傲慢な心を抱く超ハイテンションな少年になっていました。しかし、恋愛に関しては超ネガティブ思考で、その子と会っても緊張して何もできない何も言えない自分を情けなく思っていました。しだいにその子との距離が開きだしたことを感じた私は、この日の2日前に会った時にちゃんと自分の気持ちを言おうと決めたのに、またしても何も言えずに結局関門海峡まできてしまいました。

    

                                (昭和58年の写真)

 

 なんとも情けない自分に、このままじゃ取り返しのつかないことになるとブツブツ独り言を言いながら「なにか特別なきっかけをつくろう」と

考えました。それは下関~姫路間450kmを24時間以内で走りきったら自分の想いを伝えようということでした。常時30km/hくらいで走り信号停止・休憩・山越えを考慮しても平均時速20kmで走れるはず。そう考えれば22時間30分で走れるはずと考えました。理論上不可能ではないが自分の中では未到達領域(MAX350km/日)だったので、これだけの挑戦を達成できたなら、女の子に自分の気持ちを伝えることぐらいなんてことないだろうと考え、いざ挑戦を開始しました。

 

                               (現在の下関火の山YH)

 

 1/1に姫路を出て四国の八幡浜から佐賀関に入り椎葉村など九州山地を縦断して熊本を経由して下関まで来たのが1/6.。前日の走行距離は130kmでYHに宿泊したので、この日の体力は十分でした。昭和58年1月7日7:00 火の山YHで見送りを受け、関門橋をバックに走り始めました。広島までは日中走行なので、クルマも多くなかなか距離が伸びません。原爆ドームに着いた時は日が暮れていました。18:00ヤバイ?残り240kmで13時間残っている、まだまだ大丈夫。広島からは大型トラックと一緒に夜間走行です。当時は山陽自動車道なんてないから大型トラックの交通量は半端ない。夜な夜な単独で走りつづける自転車を追い越すトラックにはさぞや迷惑な存在だったと思います。岡山を過ぎてからは睡魔との闘いです。何回か居眠り運転をしてしまい大型トラックに「ブブブッツ」とクラクションを鳴らされてふと我に返るなど相当ヤバイ状況が続きました。それでもやり遂げることに集中して岡山と兵庫の県境を越えた時に確信しました。イケる!

 そして最後は軽快に爽やかに姫路の自宅にゴール!6:15でした。なんと23時間15分で走りきったのです。オレはイケてる「よっしゃ~言うぞ!」

 

 

 少ししてから、「無事到着したよ」と電話した。しかし・・・・・・・・・・しかし・・・・・・・・・・・しかし・・・・・・・・それ以上・・・・・・なにも言えず。

オレ、やっぱりイケてないわ~(笑)

 

 

 その後自転車をやめて普通の男の子?になろうと決めて5年、やっと言えたけど・・・あっさりと振られました!木っ端微塵(こっぱみじん)でした・・・未熟でした。しかし、私にとってはいい経験になりました。「自分が出来ると思ったことはなんでも出来るんだ」となんとなく自分に自信が持てるようになりました。その子に感謝!関門トンネルに感謝!です。

 

 

4. 九州上陸

 

 そんな想い出に浸りながら門司側に上陸です。

 このような痛い想い出のドボク構造物って、誰にでもあるのではないでしょうか?現在は超ポジティブ思考と言われている私ですが、いい想い出のドボク構造物より痛いほうのインパクトが強いのは私だけ?

 

 

 門司側と下関側、どちらもほぼ同じつくりなので方向音痴の人は訳がわからなくなるかも?

 

 

 再び下関側に戻ります。

 

 

 海底部です。ここで-58mということです。ウォーキングの方々と2回目のすれ違いです。

 

 

下関側につくと夜が明け始めていました。関門橋にも歩行者通路が欲しいな~

 

 

 当時宿泊した下関火の山YHにも行って見ました。きれいに立て替えられていました。景色も抜群です。

 

 

5. 関門国道トンネル

 

 仕事で北九州に行くため国道トンネルをくぐります。

 トンネルは山口県下関市椋野町と福岡県北九州市門司区東門司をつないでいます。全長は3461mで、うち海底部分は780mとなっています。ETCカードが使えないので要注意です。それもまた中途半端な150円。

 普通車の通行料金、開通時は700円(高い!)でしたが、1973年に建設費用の借入金返済が完了して150円になったということです。維持管理のため無料とはならないようです。

 

 

 

 開通当初の利用台数は1日約2000台でしたが、平成27年では1日約2万8000台が利用しています。入口にはフグの絵が描かれています。

 

 

 県境は関門海峡の海面下56mにあり、車道は2車線で幅7.5m、高4.53mで、本州側は中国自動車道・関門自動車道の下関ICと接続しています。

 

 

 門司側の出口です。広島と佐世保勤務時代には家族とよく遊びに来ました。今回は久しぶりです。

 

 

 6.おまけ(松本清張記念館)

 

 小倉には松本清張記念館があります。代表作しか読んでいないので松本清張がどんな小説家なのか良くわかっていませんが、彼の社会派推理小説が好きで「砂の器」は衝撃でした。それにしてもあの膨大な著作の数々は本当に驚きです。

 

 

 記念館では、書斎と書庫が再現されていました。司馬遼太郎(東大阪市に司馬遼太郎記念館がある)も凄いですが松本清張という人物の怪物ぶりが伺えます。