極寒の新潟から過去の瀬戸内海の島旅、2つめの紹介です。

 

1. 国立ハンセン病資料館(2012年5月東京 )

 

 東京都東村山市にある国立ハンセン病資料館をご存知でしょうか?

 東京の片隅にひっそりと存在するこの資料館は、ハンセン病に対する正しい知識の普及啓発による偏見・差別の解消及び患者・元患者の名誉回復を図ることを目的としており、1993年(平成5年)に開館しました。10代の頃から松本清張の小説をよく読んでいたのですが、「砂の器」でハンセン病の深い闇を知ることとなり、ハンセン病にかかわる社会的な問題をもっと知りたいと思いこの施設を訪ねました。

 施設の展示の中で特に印象に残ったのは、隔離施設が日本全国各地に15箇所もつくられていたことでした。展示の中味や感想をここで語ることは控えたいと思います。

 

 

2. ハンセン病の島へ(2015年9月)

 

 岡山県の瀬戸内海に、邑久光明園と長島愛生園という二つの国立のハンセン病療養所が存在する長島という島があります。2015年9月にこの島を中心に、周辺の島や海の様子を見てみたいと思い、SUP(スタンドアップパドルボード)で瀬戸内海を漕ぎました。航路は以下のとおりで、赤穂線の伊里駅にクルマを止め、川からスタートして海に入りブルーラインの下をくぐって長島へ向かい、鹿久居島の南側を漕いで首切り島を経て兵庫県赤穂市の天和駅を目指すというものでした。干き潮が始まるころにスタートして、その潮流に乗って鹿久居島の東端まで行き、そこからは満ち潮に乗って赤穂市まで行くという、まるでムービングウォークにでも乗っているかのような瀬戸内海特有の26kmの楽々ツーリングとしました。

 

 

 スタート直後、川から海へ出るところです。風もなくSUPツーリングには最適のコンディションです。引き潮が始まっているので、漕がなくてもゆっくりと海に向かって進んでいきます。

 

 

 広島方面に行くときにいつも通っているブルーラインの下をくぐります。この橋を渡るときはいつも、この海域を漕いでみたいと思っていました。

 

 

 「うちわだの瀬戸」の南側にある鹿久居島。岡山県内でも最大の島で、鹿が多いことから鹿久居と名付けられたそうです。長い間無人島(長い間、藩の流刑地)だったそうですが、1947年から入植が進められ、2010年3月末現在の人口は12人ということです。この年(2015年)に備前日生大橋が開通し、本土と陸続きになっています。下の写真は鹿久居島の南にある頭島に渡る頭島大橋です。

 

 

 下の写真の橋は、昭和63年竣工の「邑久長島大橋」です。本土側の虫明の街と対岸の長島との間の「瀬溝の瀬戸」を跨いでいます。この橋の架橋には様々な葛藤があったようです。橋の長さはわずか135mという小さな橋ですが、世界の国々に遅れをとっていた日本のハンセン病事業の解放の象徴としてその意義の大きさから、小さな橋ですが大橋の名称をつけたといわれています。

 隔離された過酷な生活から抜け出そうと、この場所を泳いで脱出しようとされた患者さんもいらっしゃったとか・・・「瀬溝の瀬戸」と呼ばれる潮流の早い海峡のため、命を落とされた方もいるそうです。この橋の建設に関わった方々はどのような気持ちだったのでしょうか・・・

 

 

 この日のツーリングは瀬戸内海のきれいな景色とは裏腹に、なんともいえない緊張感と様々な社会問題について考える重たい気分の一日でした。

 

 

 長島に上陸です。島の様子については、ここでのコメントを控えたいと思います。

 

 

 3. 暗い過去を抱えた島々へ 

 

 長島を離れると、今度はエーゲ海?

と思わせるような風景が広がります。どうやら別荘地のようで、島の名前は鴻島ということです。

どうみてもバブル期の建物です。なんとなく哀れな気分になってしまいます。

 

 

 頭島大橋の下をくぐります。ここからも流刑地など暗い過去を抱えた島々を巡ることになります。

 

 

 2004年開通のきれいなアーチ橋です。

 

 

 この島は、緩斜面に恵まれていて住みやすく、2010年の人口は日生諸島の中で最大の366人といわれています。

 

 

 前方に見えてきたのが「首切島」です。なんとも恐ろしい名前です。

隣にある鹿久居島が岡山藩の流刑地となり、改悛の情が見られない者などが、この小島に連れて来られて打ち首とされたことから「首切島」と呼ばれるようになったとか・・・

 

 

 そのようなことを知らなかったら、普通に気持ちいい無人島です。ここでお昼を食べてちょっくらお昼寝です。

 

 

 首切島の次は「鶴島」です。ここにも悲しい歴史が眠っているのです。

 元々無人島だったこの島、「浦上四番崩れ」と呼ばれる長崎浦上のキリスト教弾圧の際、捕らえられたキリシタンのうち117人が1870年にこの「鶴島」に流されたそうです。1873年に信教の自由が認められるまで、開墾と改宗を強制されて18人が死亡しているそうです。キリシタンの弾圧といえば長崎県ばかりを思い浮かべてしまいますが、長崎の人がこんなところまで連れてこられたのですね・・・

 

 

 4. 満ち潮にのって帰還。クジラ(ゴンドウ?)と遭遇

 

 潮流があるので寝ていても前に進んでいきます。SUPはシーカヤックと違い、大の字になって寝れるところがGood!荷物も防水バックさえあれば50kgくらいは楽々積むことが可能です。

 

 

  雰囲気のいい灯台で休憩です。

 

 

 灯台から西方向を眺めます。本土帰還まで約4kmの海峡横断となります。

 

 

 赤穂まであと2kmというところで、なにやら海面に怪しい動きが・・・サメ?

 

 

 SUPの動きを止めてじ~と息をひそめます。すると「ぷしゅ~」という音、スナメリ?イルカ?違う・・・色とか体長を見るとどうやらゴンドウクジラのようです。二匹一緒に水面に出たり入ったりで、数をどんどん増やしながら私の周りをぐるぐる回り始めました。たぶん6頭以上いたものと思われます。10分ほど私の周りで遊んでからどこかへ行ってしまいましたが、私にとっては至福のひとときでした。ダイビングを含め、シーカヤックやSUPであちこちの海を漕いできましたが、クジラと出逢ったのは初めてです。クジラウォッチングとかではなく、偶然出会うことの感激は言葉では表せません。本当に私は幸せです。

 

 

 満ち潮にのって楽々海峡横断。赤穂の工業地帯を見ながら、接岸場所をさがします。JR赤穂線の天和駅から電車にのってクルマを置いた伊里駅に向かって終了。今回はダークツーリズム(負の遺産巡り)的な内容となりましたが、負の遺産には必ず「ドボク」が関わっていることをあらためて意識しました。今後もこのような負の遺産をどのように紹介していくのがいいのか?を考えていきたいです。