1. 「狂人」、河井継之助が歩いた冬の三国峠
司馬遼太郎の「峠」の冒頭に登場する峠は、三国峠であります。
「三国峠は越後と関東とのあいだにそそり立つ峻嶮で、街道最大の難所とされ、江戸幕府の初期にきりとおされた。冬期、この峠をぶじ越えればまず命をひろったとみていい」(司馬遼太郎「峠」の第一章越後の城下より)と書いてあり、冬の三国峠越えがいかに厳しかったかが、書いてあるのです。
下の写真中央の鞍(コルともいいます)の部分が、その三国峠です。
現在では、標高1084mまで国道17号線が通っており、国道から標高1244mの峠まで高低差はわずか160mとなっています。三国峠最大の難所も、国道を使えば難所とは言えませんが、冬の峠がどんなものかを確認したいという好奇心は止められません。
2. 群馬県側からスノーシューで入山
新潟県側は新三国トンネルの工事で駐車場所がなく、群馬県側から入山しました。テレマークスキーで行くかスノーシューで行くか悩みましたが、ドローンを背負っていくため、ズッこける可能性の少ないスノーシューを選択しました。
今年の冬は早いと思っていたのにこの日は(12/23)、予想外の雪の少なさに迷いました。やめてスキー場でも行こうかと・・・
12月は、白馬の豪雪とは対照的に上越国境は積雪不足(翌日行った「かぐらBC」も少なかった)のようでした。でもせっかくここまできたのだからスノーシューとドローンで遊ぼうと入山を決断しました。
入山時はいい天気だったのですが、だんだん雪が降ってきて・・・頂上に到着したときは、雲も垂れ込みドローン撮影は厳しい状況でした。しかし、吹雪という感じでもなく乾いた雪だったので、これもひとつの経験だと考え、離陸を決断しました。しかし、風と雪が強くなったためあまり高くあげず、周辺のみの撮影で済ませ5分くらいで降ろしました。
人も居ないし、たとえ落ちたとしても新雪の上なのでリスクは少ないのですが、故障が心配なので無理は禁物です。あきらめて下山を開始したのですが・・・
しばらく下っていくと、あれあれ雪がやんだではないか・・・
その時、たまたま樹木と樹木の間隔があいているところがあり、「よっしゃここで飛ばそう!」と決めて、初めて山の斜面からの離陸に挑戦しました。これは雪があるから簡単にできるのです。雪を踏み固めて水平にならしてドローンポートを作成、着陸は手でキャッチです。
北側では、苗場スキー場のゲレンデがはっきりと見えるようになりました。
南側では、国道17号線と谷が平行に走っているのが確認できます。新人時代の田中角栄さんの有名な演説「三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばすのであります。そうしますと、日本海の季節風は太平洋側に吹き抜けて越後に雪は降らなくなる。出てきた土砂は日本海に運んでいって埋め立てに使えば、佐渡とは陸続きになるのであります」を思い出しますが、三国峠を吹っ飛ばしてもあまり効果がないようですので、越後山脈全体をぶっ壊すと言いたかったのでしょうね・・・今の時代にそんなことを言ったら大炎上まちがいなしです。
3. 午後はテレマークで
雪は少なめだったのですが、時間に余裕があったこともあり一旦国道まで戻って、スノーシューからテレマークスキーに履き替えて再び頂上を目指しました。
雪が少ないので、まだまだ薮だらけ。わずかな隙間を狙って滑るのですが、結構苦労しました。次回の厳冬期はスノーボードで滑ろう!