午前3時4分
私の携帯は着信音が鳴っていた…。
が、それに全く気がついていなかった。それも二度。着信履歴に残っていた。番号はおそらく病院だ。
午前3時55分
弟から、電話が来たことでようやく目覚めた。今度は目が覚めた。
「今日、午前3時。マー君が亡くなった…。」
マー君とは、私の一つ上の兄である。こんな夜中、電話に出る前から分かっていた。2日前から危篤状態の知らせを受けていたからである。
今年の9月、叔母の四十九日の法要に出ることを決めたきっかけに、兄が仮退院をしたいと依頼していたので、それと合わせて帰省した。
その時は二泊三日、兄のアパートで過ごした。アパートに向かう前に病院で、兄の病状の説明を受けた。
見せてもらったいくつもの画像。癌の転移が骨にまで進行し、今にも骨が折れそうで頸椎が完全に神経を圧迫していた。8月からモルヒネの投与で痛みを抑えていたけれど、兄はその痛みに耐えて過ごしいた。
「いつなにかが起こってもおかしくない状況ですが、本人の希望はどうしてもお住まいに戻りたいと言う事なので病院側は、ご家族の同伴と言う事で許可に至ってます。」
脚が悪くなって認知度が進んだ母はケアハウスにいる。それに弟では仮退院の許可は出なかった。私が側に着く事で許可は出てたのだ。
兄は杖を使って歩けていた。ただ頸椎の痛みや時より起こる目眩で長くは歩けなかった。
気丈に振る舞っていた兄。アパートに戻っていくつかの整理をしたいと言う事で一時帰宅になったけれど、既に今年の夏からいくつもの検査を受けて余命半年の宣告を受けていた。
兄のもう一つの願いは煙草…それにお酒。三日間アパートにいて、兄が喫煙と飲酒をわずかに楽しんだ。とはいえ、それよりも食べたいものがあるのに、わずかにしか食べられなかった。食欲はあったのに…。
弟と三人でいろんなことを話した。小さい頃や最近のことも、病状の進行についても…。そして飲んだくれの父親についても。
父はアル中でネグレクト。だいぶん前に亡くなったけれど我々兄弟の顛末は父親から始まっている。もちろん、父親だけが悪いとは言わない。それぞれが機能不全家族。時代の波。生きていきながら数数の失敗があった。
本音で語り合えた。ほんのひと時の間。久しぶり、何十年ぶりの兄弟揃い踏みだった。笑いながら話せた。
私はその時から兄と過ごすのは最後と決めていた。通夜にも葬式にも出てない。
弟が一人で荼毘に服されまでを進めていった。今、兄の遺骨は弟アパートにある。四十九日を過ぎて、納骨堂に納めようと思う。
兄はいろいろあった。でも最後は気丈に振る舞いながらも痛みに耐え抜いていた。その姿は痛ましく脳裏に残っている。
弟に聞いた。兄の最期はどんなだったか。
最期は意識が朦朧としながらも寝付けない状態だったそうだ。眠らせる薬は出せるけれど、それがきっかけで呼吸が出来なくなることもあると説明を受けて、選んだのは眠らせてあげることだった。亡くなった顔は穏やかで寝ているようだったそうた。
病院の看護師は、「お兄さんは、とても紳士的でした。どんな時も優しく声をかけていただきました。」それを弟から聞いた。
安らかに眠って、兄はどう思っているだろうか。あの時のように、ありがとうって言ってくれるだろうか?
ありがとうの兄からのメッセージは携帯に残っている。いつも私の事を心配していた。
最期のメッセージの一つ
「お疲れさまでした☺無事に、帰宅されて良かったです😅
のんびりリラックスして、疲れ癒されてください🙇🌉」
自分は苦しんでるいたのに。
11月30日兄は旅立ちました。私はちょうど29日は仕事徹夜だった。だから午前3時4分の電話に出れなかった。滅多に熟睡しない私だけれど、その時は起きれなかった。
会いにも、通夜にも行かずごめん。
また会おうな。俺も気をつけるよ。
母親のアパートに長く置いていた絵。二週間前に帰省して、ケアハウスに入所した母親と合って来ました。母親のアパートを引き払って行くことになり、母親のことは兄と弟にお願いしています。
絵画が二点、母親のところに置いていたもの。ケアハウスには置けないし、私が管理することにしました。
描いたこの絵は、夜ぐっすり眠ってもらうために描いたものです。
「眠っている時も天使のように見守ってますよ。」と言う気持ちを込めて。
油絵だけどかなりヒビが入ったりして傷んでいました。時間を見て修復しようと思います。
なかなか自分の作品を描かなくなっていたので、これを機にまたいろんな絵を描いて行こう。そう思いました。
この絵は心象画。
今まで何度か天使のような姿を見て来ました。今では天使はいないと思ってますが、きっと脳内や心の中にはいるんだろうと思ってます。
夢を見るように。
人生で大切な事の一つが見守り。ブルーには鎮静効果もあります。
悲しみ苦しみある人に安らぎを与えて下さい。そんな事を考えながら描いたものです。


