不登校の原因はさまざまありますが、不登校を考える前に、なぜ学校教育は必要なのかを考えてみる必要があると思います。
心の形成の中心は家庭にあります。そこでは生活があり、衣食住を中心に愛のある生活を送ります。
大人が共に生活し、子供を守り、様々な現実を教えて行くことになります。いつまでも大人がいれば、学校教育は必要ないのかもしれません。
ところが、人は永遠に生きることはできません。いづれは大人は先立ち、子供達は自立という現実を迎えることになります。
また、人は住まいを決めて生きて行く以上、地域や社会とは孤立状態になってはたくさんの支障が現れます。
生活には食べて行くこと、住まいを維持していくこと、衛生管理をした環境を整えて、病気や怪我や障害に敏速に対応して行く必要が出てきます。
結局のところ、一人で生きて行くことは困難になります。誰かの助けなくしては、生きて行くことは難しいのですから、社会性を身につけていくことになります。
それを学ぶことが学校教育の根幹にあると思っています。その学校教育の中に組み込まれたのが国民の義務になる、教育、勤労、納税のシステムです。
集団生活をすることで人との関わり方をも学びます。思い遣りにしても、共同協調性を保ち、より豊かな生活の中で助け合い幸せな社会作りをします。みんなの福祉、個人福祉が幸せな社会となります。生きて行く基本を学んで、働き稼ぎ納税をして行くことに未来を担う大人としての責任が出てきます。
ところが、不登校はそんな観点から見て行くとさも問題行動の様に捉えられます。社会から逃避しているんではなかろうかと…。私の五人の子供達の中で上四人は不登校を経験しています。長女も長男も二女も三女も…。ダウン症の息子だけには不登校はありませんでした。
なぜ不登校になるかは、一人一人違うし、家庭の事情でも変わります。私は一番はいじめが原因となるパターンが多いと思っていますが、その中でも忘れてはならないのは人間の中にある、「必要に思われたい、役に立ちたい。」それが脅かされて来ると、不登校は誰にでも起こりうる問題だと思っています。
第一に家庭の中で、子供達は本当に愛され護られているのか?それが問われていると思っています。大人や親は子供の将来を見据えて、愛し育くんでいるのか?
子供達の心に寄り添えているのか?私も子供達の不登校を通して反省し気づかされることがありました。
不登校は悪ではありません。学校に行きたくない気持ちを受け止めてあげて、子供達の心に寄り添えることが大人には大事なことです。不登校は信号、サインです。
私の子供達は不登校になり、夫婦共に考えさせられました。学校教育は必要なのか?と言われたら、確かに大事な場所です。でも、子供達は心の信号を不登校という行動で知らせているのです。
言いたくても言えない理由もあれば、自分自身でもわからない気持ちを抱えています。一番の不登校の原因となるいじめをなくすことは確かに大事なことですが、もっと大事な事は、愛されたい必要に思われたい子供達の心の奥底を知ることだと思います。
大人も現実を抱えています。経済的理由、家族の中では家事もあります。夫婦共に働くこともあって、子供達と向き合う余裕を無くしてはいないだろか?まず、それに気づくことが大事になります。親がシングルになることもあればグランドペアレント(おじいちゃん・おばあちゃん)に任されている場合も増えて来ました。児童相談所にお世話になることになり、施設に入る子供達もいる中、様々な現実もあります。
大事な事は、子供達に関わる大人が、まず気づいて行くこと。身近な大人が出来ること。それは生きている子供達に笑顔で寄り添えること。問題行動にとらわれて、子供達が自分のことを知ってほしいと願っている魂レベルを見過ごしてはいないか?それを知ることが大切なことだと思います。
それは一日ではできません。また完璧に知ることにとらわれすぎてもいけません。子供達にはそれぞれ個性があり、性格も違います。一人のひとが完璧に見抜くことはできません。
人生には様々な選択があり、その選択肢の中から自分らしい生き方を見つけて行けるように、共に大人も寄り添えたら良いと思います。また角度を変えて見つめて行ける人達の助けも必要でしょう。
子供達の不登校を乗り越えていく中にたくさんの方々にお世話になりました。それが親としては本当にありがたいことでした。親身に受け止めて下さる方がいなければ、私たちの子供達も不登校を乗り越えて行くことはできなかったでしょう。
大人にとって大事な事は、子供達には、様々なチャンスがあると教え、またその情報を元にいろいろ訪ね歩くことだと思っています。
学校教育は大切ですが、それに代わるものは必ずあります。働きながら学ぶこともあります。芸術、スポーツ、生活の中にヒントはたくさんあります。
また、一方で問題になるのが、不登校の子供達だけではありませんが、人間には満たされないものが潜在的にあれば、様々な依存となって現れることです。
ゲーム、携帯、ファッション、食生活、ギャンブル性のもの、異性関係の乱れなど、様々な問題も出てきます。いけないこととはわかっていてもついつい過ごしてしまう。そんな金銭面もコントロールできない心の病になった場合は、本当に困難を極めます。
私の子供の場合、ゲームの問題行動は大きなものでした。やり過ぎ。でも、なぜやりすぎるかを考えてみました。寄り添う時間が少なかった訳です。放置すらしていたのですから。頭ごなしに否定しても、依存性があれば、本人は自覚も自制もできないものです。理由なき理由。子供の前にまず大人が親が反省することが大事になります。
不登校になると大人や親は不安になります。がそれを問題行動と見るのではなく、大人や親が、子供達と寄り添う時間が大事になると教えるシグナルと考えてみることです。
親にもストレスがありますから。酷い場合は虐待になるケースもありますが、虐待をする親もさかのぼれば、その親からも寄り添えてもらえる環境がなかったと考えられます。
不登校の原因はまだまだたくさんあります。家族関係や親の価値観、情報があふれる中で社会全体に問題がある場合もあります。ちょっとした周りと違った行動を 一つの価値観で見てしまうことです。対話不足、事情が知らされてない場合もあります。誤解やすれ違いが原因にもなります。
学校教育は大切なことですが、それに代わる世界があるのです。私の長女は花屋さんで働き、お店のオーナー夫婦からも可愛がれ、失敗はあるものの、お客様にも好かれて居場所ができました。長男も、ピアノ調律の社長親方から、可愛がれて、金槌、ドライバーすら上手く扱えない、ぎこちない所から根気よく指導していただき、道具を立派にこなすまでになりました。ひょろひょろとした体型も食生活に配慮をしていただき、見事な細マッチョになりました。
二女も、いじめの中学、高校生活を越えてようやく卒業を迎えます。これからは本人に合う職業選択と資格をとることになります。
私はアート・美術を通して、子供達がお世話になった分を含めてお返ししたいと思っています。それぞれに合う世界があります。探しましょう。試してみましょう。子供達を引っ張るのではなく、いろんな体験をしてみたらどう?と優しく誘導することです。ちょっとこんなんがあるよ!とね。
また、不登校の問題を家族関係の問題と極端に考えず、第三者機関にも相談したり、子供の声を聞いて下さる人達の助けも受けていくことです。
人生は、山登り。いろんな登り道があります。大人も子供も一緒に遭難しないように、行き詰まって事件に発展しない様に。さらには、引きこもりで問題を先送りし過ぎない様に願っております。家庭の問題と閉鎖してもいけません。
焦りは禁物ですが、放置は禁物ですね。ネグレクトする親も出てくる社会問題もありますから、子供達の心が開かれる様に、社会の大人一人一人が出来ることをしてあげて欲しいです。
私たち夫婦は学校や社会に迷惑もかけてしまいましたが、子供達を見捨ることはできませんでした。改めて社会のお世話になり、たくさんの方々に助けられ感謝に絶えません。
私たち夫婦が子供達と共に過ごした経験を、より良き社会に生かしたいと願っております。まだまだ学ぶこともありますし、まだまだ子供達もプロセスの中に居ます。
そんな社会のために助け合い、支え合いが出来ればと思います。不登校は無くす事ではなく、子供達と向き合うシグナルと見た方が、親も楽になるのではないでしょうか。
いじめの問題は起きてはいけません。見過ごすと心身の傷になり、さらに深くなります。早期発見、早期対応が一番です。簡単に「死ね」という言葉が出る時代になりましたが、このいじめの問題はまた改めて取り上げて行きたいと思います。
不登校になったからと嘆いたり、責めたり、またなんとかなると放置はしない様に願っております。
いづれにしろ、不登校という呼び方が不適切なものに思えてなりません。引きこもりでも逃避でもありません。様々な問題を自分一人で背負い過ぎた結果ですから。
いろんな人が絡んで問題となってしまったのなら、問題解決もいろんな人達の助けが必要なのです。
葉っぱ一枚に例えて見てください。植物は、光も水も酸素も二酸化炭素もミネラルも必要なのです。それが葉緑素や気孔、葉脈や細胞レベルで問題なく機能して始めて葉っぱの役割分担を発揮するのですから。シグナルを発している一つの葉っぱと見てください。
いろんな面から時間をかけて元気な葉っぱにしましょう。みんなの力があってより良き社会や幸せ、公共の福祉となります。
私たち夫婦だけでなく、兄弟姉妹達がまた支え合いそれぞれの不登校を越えて行きました。
シグナルリーフ。葉っぱ信号が出ているのが不登校の子供達。私は不登校を教育に置ける信号と考えるので、エデュケーションリーフ、「E.L.」と呼びたいです。
若者が未来を担うわけですから。青年が元気いっぱい未来のために自分らしい生き方をして欲しいです。
「E.L.」私も大学時代に不登校で芸大を中退しましたからね。決して他人事ではありません。今から思えば卒業していたら別な道もあったかもしれませんね。でも、その挫折も大きい学びでした。だからこそ、ファインリーブスはこれからも頑張って参ります。
「ファブリーズ」しゅっしゅ

娘はお気に入り。ときどき私にも降り注ぐ…。「シューッとな。」
太陽の光が、ファインリーブスには必要なんですけれど…。
四、五年前に一人で生きなければ…と自覚と自制が芽生え、さらに上の二人の子供と同居生活から脱却し、この子供達の成長にとっても、子供の自生自立は重要な課題かなと感じていた。
そこに降ってきた。
嫁から、やり直し生活提案。
私にも長所、欠点がある。が…欠点ばかりに目を向けると暗くなる。日陰の葉っぱの様に。私の長所は家事育児が苦痛では無い事かな。欠点はスローなところ。もっとたくさんある。そこにとらわれると暗くなる。
だから長所をみることになるが、男は子供だという持論があるから、調子に乗りやすいところにも気をつけねばと思っている。
娘からファブリーズをかけられ、リフレッシュするのが丁度良いのかも。
ファインリーブスとは、どこから来たのかは、度々触れるけれど、その中の一つに美術に没頭した幼い頃に戻りたい気持ちがあると思っている。
それに、葉っぱの様に花を咲かせて、実を結ぶためにお手伝いがしたい。それが2003年のネーミング決定になった。
でも、失敗と挫折が襲い、子供達とは離れ離れになることがやってきた。懐かしいような一昔前。それからファインリーブスは一人細細と続いていた。美術教育は1991年から始めている。
バツイチとなり、芸術と仕事を求め関東に行って2年たった時に、長女と長男は、上京してきた。今から五年前になる。
月日が経つのは早い。共に高校を中退して、私の元にきた。その頃、私も世間の厳しさに気づき始めた。なんとか生計を立てて来たが、無理がたたり、教育入院となった。目のレーザー治療もした。
そんな中でも子供達がそれぞれの進路に向かい努力するのを見て、その成長に感心した。
今は長女はアート好きな花屋さん。長男はピアノ好きな調律師で修行し、働いて自立している。
オヤジ一人にはさせないと言ってくれた二人も、嫁とやり直すことで賛同してくれた。
下三人の子供達、特にダウン症の末っ子の為にもと嫁の故郷・滋賀県にやってきた。
ひょんなことから、再びファインリーブスの看板で美術教室を始めた。これも、福岡でたくさんの生徒達に支えられ、保護者の方にもお世話になった経験があったからからこそ。
ゼロからの再チャレンジスタート。ファインリーブスもファブリーズをときどき浴びてリフレッシュするように、また新たな一年を迎えることができた。
地元芸術家のご紹介で読売新聞の担当記者が取材に来て頂いた。そして新聞折込にもなる県民情報誌に載せていただくことになった。
今日はひな祭り。と同時に嫁の母親の命日でもある。いろんな方の支えてここまできた。これからも、お役に立とうと気持ちを新たにしている。
まだまだいろんな方にお礼や感謝をお返し出来ていないけれど、生徒達、保護者の方には本当に
感謝に絶えない。
明日の読売新聞の朝刊折込「県民情報誌」第四面の下側に写真付きで載せていただく。
さあ!
ファブリーズで頑張るぞ!
じゃあなかった。ファインリーブスは元気な葉っぱで参ります。

我が家では、子供三人が卒業予定。
次女は夜間高校を三年間で卒業予定。高校卒業認定試験で必要な単位を取れば、四年かかるところを三年間で卒業できる。
学校の試験がまだ残っていて、あくまでも予定。無事卒業して欲しいものだ。
三女は三月一日卒業式。車の運転免許がもうすぐ取れる。後は学科試験だけ。短期大学も決まり、三月からはアルバイトしながら、四月には勉強が始まる。
二男は養護学校の中等部を卒業し、同じ敷地の高等部に進学する。
それぞれの春がやってくる。娘達が支えてくれるから助かる。
私も輝きたいものだ。これからも夫婦で支え合い、助け合うことになるが、ちょいとスローな私だけに、うかつには過ごせない。
今日も葉っぱの私に発破をかける嫁がいる。アシスタントの様で、時に社長かな。
(笑)
嫁にも随分苦労をかけてきたからなぁ。去年の今頃は、突然のリストラであちこち転職活動を始めようとしていた。
が、嫁が言った。
昔、輝いていた頃に再チャレンジしたら。家庭教師.学習塾.美術教室を長くやっていたからなぁ。
新しい土地に来て、挑戦することになった。今は生徒達に救われている。また新たな出会いをし、本業に精進していく。
春近し…新しい挑戦がまた始まる。
子供達は宝だよね。護らないと。がんばろう。



