事件.事故.犯罪.災害が重なって起きてしまった出来事に、胸を痛める日々。

今も、不明の方が100名を越える。深い悲しみと激しい怒りが、遺族の方にあり、犠牲者の方は沈黙の悔しさを残している。

一体誰が悪いのか?誰が責任者なのか?誰がこの悔しさを受け止めてくれるのか?流れてくる情報やニュースを見聞していて、これは人類全てにおいて、見過ごすわけにはいかない出来事だと感じている。

当事者だけではない。今も私達全てに当てはまる、人間のエゴイズムが見えているのだ。

責任逃れ。

安否不明者の救援が何よりである事は変わりはない。船が引き揚げられて全てが明らかになるまで時間がかかり、さらには長くこの痛みは続く。

東日本大震災でも、たくさんの方が犠牲になり、また救える命があったにもかかわらず、人災で命を失った方もいる。

津波に対する意識が無かった。

でも、復興支援は続いている。犠牲者に哀悼の祈りを捧げ遺されたものは生き抜いている。

これからなのだ。私達全てに当てはまる、生き方。何が大事で何をすれば良いのか?それをハッキリさせる。決して、隣国の他人事ではない。

個人のあり方、組織のあり方…。そこで問われる真のリーダーシップとは何か?命をかけて闘い続けていく。

愛する者に会いたいと思う気持ちが人の本心である。愛する者達が幸せに生きていける社会になるため、再確認しなければならない。

やりたい事をやって、思い残す事がない様に生きるとは何か?それは欲望を満たすことではない。

我慢して、明日に備える今であるべきだ。力を尽くして、それぞれが出来ることを精一杯やる。

遺伝子を繋いて、豊かな生活を維持して、誰もが笑顔で生きていける社会にする為に…。

「逢いたい…。」それが心に響く。決して無駄にはしない。犠牲になった方の意思は、「逢いたい…。」なのだ。

親子、兄弟、友人知人。恋人。師弟…。失ってわかる。失ったものにしかわからない。

もっとこうしてあげたら良かった…。もっと大事にしてあげればよかった。もう一度逢いたい…その気持ちはこの世では一番の苦しみであり、哀しみである。

逢いたい…と願い続けている人達に寄り添いながら、私達は自分自身のやるべきことを明確にしていく。犯人捜しは続いて、犯人が裁かれたとしても。

「逢いたい…。」と言う気持ちが無くなる事はない。

享楽や刹那主義に生きる者とならず、備えて欲しい。自己弁護する事なく、責任転嫁する事なく。悔いが残ったとしても、放棄する者にはならないで生きて欲しい。

自分自身が出来ること。命を繋ぐ為に出来ることを見つけて欲しい。

そして、「逢いたい…。」と願い続けている魂たちを忘れないで欲しい。

寄り添って欲しい。哀しみと怒りを自分に向けて、自死を選んだ者もいる。みんな願っている。愛する者との生活を…。

人生の幸せのバトンリレーは続く。我慢と犠牲は無駄ではない。その幸せの為に出来ることをしよう。学びスキルを身につけて、危険予知をし、備える。

愛する者の為に…。愛する者を護ろうとする者たちの為に。逢いたい…と願い続けている魂を

忘れない。決して忘れない。