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It colors of one day

( ゜Д゜)y─┛~~

疲れたなぁ、と最近思う。


と、いうのも、仕事がここ最近、会議にクレーム対応に、社内の人間関係トラブルに、と、何かと気を使うことが多すぎるからなのかもしれない。


やっぱり、ルーチンワークが楽だなぁ、と思ってしまう。


そんな中、ロジカルにそれぞれ対応できればいい。


しかし、内容がないようであるだけに、人間的な感情論を排除しきれない。


ロジカルシンキングも、問題が付きまとうことも社会にあっては然るべきこと。


それは構わない。


-何より面倒なのは、人間の感情だ-


そう思ってしまう。


私自身が年齢を重ねると同時に得てきた経験の中で、


消化不良となって蓄積されてきた「何か」は、一定量に満ちたときに、その解を得た。


何度見てきただろう、建設的に行われるべきものが、


たったひと時の人間の感情で、ことごとく叩きのめされる様を。


人同士の衝突を。


分かっているのに八つ当たりをする人間の様を。




そうして、私は結論付けようとしている。


感情がある以上、人間は不確定な要素である、と。


思えばそんなことは当たり前のことで。


今まではそれを許容して生きてこれた。


だがここ最近は、「もう見たくもない」と思う事が増えた。


激しい人の裏表を見るたびに。


ヒステリックに、わめく様を見るたびに。


そうは言っても、私も人間だった。


心が痛まずにはいられなかった。


信頼していたものに、傷つけられて平気なわけがなかった。


・・・もうそれを受け入れ、抱きしめる力も失せた。




主義主張の衝突に、どれだけの価値があるだろう。


本来「より良く」を目指していくべきはずのものが、


気がつけば論点はお互いのどちらが「正しい」かになる。


それらは、いつまでも相容れないものなのか。


「折衝」「妥協」「中庸」


それらは何のためにある?


結果終わらず、何も変わらないのなら、


変えることができることだけでも、少しずつ変えていけばいい。


結果何も変わらないのなら、その衝突に意味はない。


ただ、感情的に無意味な争いを続けるのなら、


私はその場所から降りる。



必要なのは知恵と技術で、


そこに人の感情は必要ないとして。






私は、人の心をもっと理解すべきなのだろうか。


それとも、こうして淡々としていくべきなのだろうか。



迷いながら求めたのは、


子供の持つ、無邪気な笑顔。


無条件で相手を信じる、純粋な心。


それがただ、愛おしかった。


かつて私は、そのものと自身とを同一視していた。


今はそれさえも疑ってしまいそうな場所にいる。


私は、変わってしまった。




もはや自分の心さえ相反する価値観を持ち、矛盾だらけである。


そこをかき回すことは、強い苦痛を伴うことを想定して、今は操作することを放棄している。


このまま心を閉じてしまえば楽なのかもしれない。


そう思いながらも、閉じきれずにいる。


振り返ってみて、全ての人がそうであったわけではないから。


そして、どうせ閉じても、いつかまた自分の手で開けてしまいそうで。


だから、自分へ「閉じる」という約束はできなかった。


いくら醜い感情を自らの中で殺しても、


愛しいと思う気持ちを殺すものが、私にはない。


そしてその気持ちが高まったとき、それまでのことは忘れたかのように、


容易く、その扉を開く。


・・・懲りもせず。

仕事をしていて、ダメだと思うこと、できていないことはたくさん見つかる。


気がつけば、「あれもダメ」「これもダメ」と、悪い点ばかりに目がいくようになっている。



問題点の抽出は重要だが、それに埋もれていても何も始まらない。


ふと思った。


私が、とある会社に勤めていたときの言葉。


「なぜできないか、ではなく、どうすればできるか」だと。


この言葉は、原因ばかり追究し、行き詰ってしまいそうな時にはっとさせられる。



皮肉なことに、それほど追い詰められていない今より、追い詰められていた時の方が、


随分と必死に、足掻いていたものだと気付く。



そうは言っても、問題が山積している現状でも「まだまだ」と慌てふためかず、落ち着いていられるのは、


皮肉にも、今よりももっと酷い状況に追いやられた事があるからだったりする。



とはいえ、その現状に甘んじていては、やはり自分というものは重い腰をあげようとはしない。


だから今、私に必要なのは、あの追い詰められながらも高いヴィジョンを持っていた頃の感覚を思い出すこと。


あの頃から比べれば今の問題も、課題も「まだまだ」甘いものなのだ。



決して、「大したことはない」と甘んじるのではなく、


問題の大小に関わらず、高い視野を持って問題点に懸命に挑みたい。




あの頃は、うつ病にはなりはしたが、それほどまでに、毎日仕事の事を考えた。


家に帰っても、休みのときも、数字が足りないという強迫観念があった。


「どうすれば達成できるか」そればかり考えていた。



病んでしまっては元も子もないものの、


社会に、会社に生きる者としては、それくらい必死であることが潔い。


今の女性が多い職場で、ともすれば、やれ人間関係がどうだの、恋愛がどうだのと、


会社の利益とかけ離れたところの話ばかり聞こえてくる。


私自身、社内恋愛の経験はあるにせよ。




社内での人間的ゆとりは、全くなくても問題だが、


緩み過ぎてもタチが悪い。


皆が皆、会社を良くすることに、自分の仕事に必死である場所ならば、


そのような話はそう容易く生まれてこない。




そこは割り切り、そろそろ自分のできる事に集中した方がいいと思った。


余計は省き、成すべきことをを淡々と成す。


その方がやはり私には性に合っている。