少しずつ明らかになっていく。
自問自答で得ることができなかった答え。
いくつもの確信が、ひとつの方向性を明らかに指し示す。
今、この人と親しくなりたい。
明らかに違うところ、似ているところ、
それぞれを内包しているという事実を踏まえて、
なお、同じ山を登ろうとしているような感覚。
そして、その道のりがただ孤独に険しいものではなく、
共に歩むことで楽しく、より深い学びが得られるであろうという期待。
楽しみを分かち合う親友のようでもあり、
嫉妬すべきライバルのようでもある。
本当にこの感覚が久しいと思うのは、
幼少のころ競い合う中で足の引っ張り合いになったことをきっかけに、
競争というもの自体を、今まで避けてきたからだろう。
一位になることが大事なのではない。
経験の中でより多くを学ぶこと、
個々の違いを認め、相互理解を深めること、
その結果、一人で戦うよりもずっと、
良い経験と高い成果を生み出すこと。
それが同じフィールドでなくてもいい。
互いの経験が、各々の形へ変換、吸収され、
各々の成果へとフィードバックされればよい。
異なるフィールドでは無変換のまま流用できる経験は少ない。
しかし、そこに気づきを得ようとする意識と、
本質を理解する洞察力があれば、
むしろそれは斬新な角度からの切り口となり得る。
これらを期待できる親友が得られるならば、
それは私にとって奇跡に近い出会いであり、
生涯大切にすべき関係と言える。
願わくばそれが相手にとっても同じでありたい。
明らかに、見えるヴィジョンが圧倒的に多い。
多数の可能性、具体性。
そしてそのプロセスでの膨大な気づき。
本当に、ここまでワクワクしたのは久しぶりだ。
しかも、泡沫のようなものではなく、
長期的かつ確かな感覚をもつ確信といえるレベル。
それは圧倒的過ぎて、何をしようか時に迷い、
何でもできるかのような錯覚さえも生み出す。
しかし決して妄信ではなく、
確かな源泉を得て力が沸き立つような感覚。
これはきっと、今後も長く留まり、
ともすれば生涯忘れられない経験となるだろう。
本来これがただ孤独に、
一人でも迷わず歩んでいけるのならば、
あるいは心の友として、自らの中にその存在を維持できれば、
決して親友として実質的にとどめておく必要はないのかもしれない。
ひょっとしたらそれが、
互いにとって最も負荷のかからない方法かもしれない。
しかし、今は「まだ分からない点がたくさんある」し、
「もっと知りたいと願う」し、
「その存在を自らの中に長く留めておくことが難しい」。
そして何より、「互いに楽しみ、笑い合うことは、一人ではできない」。
これらが満たされる可能性があるならば、
それに越したことはない。