It colors of one day -19ページ目

It colors of one day

( ゜Д゜)y─┛~~



猫カフェが流行っているが、
次はうさぎ。

猫カフェに行った友人曰く、
せっかくお金を払って楽しみに行ったのに、
警戒されるわ、逃げられるわ、愛想悪いわで、満足できなかったという。
猫というのはそういう生き物かもしれない。
しかし、うさぎなら・・・?
私の主観だが、うさぎならより温厚な対応ができるのではないか。
それはそれで、ヒットしそうな予感。
いいところに目をつけるなぁ。

私は猫は好きだし、猫の正確も知っているから悪い印象はもたない。
まぁ、猫も猫で、とっかえひっかえ来る人間にもて遊ばれたら警戒心も出るわなぁ・・・、と思ってしまう。

ふと思う。
集計や演算をデジタルな機器に任せ、
心を満たすことを動物に求める。

・・・それでいいのか?人間。
そこまでして、より建設的な社会をつくることができるのならいい。
しかし今のところ、醜い争いや人間性の低下、自分の快楽を満たそうとする行為がほとんどな気がしてならない。
あなたは「アリ婚」それとも「ナシ婚」?
結婚はするけど、結婚式をしないことを「ナシ婚」というそうです。 2012年1月1日、厚生労働..........≪続きを読む≫


結婚を真面目に考える年になった。


ふと目についた記事で、意外と結婚式を挙げないカップルが多いのだと知った。


確かに、今のご時世200~300万というお金は貴重。


それだけの自由なお金で出来ることを考えると、


それはそれで楽しめることもあるだろう。



何に使うかは人それぞれの価値観による。


結局のところ、二人が決めることなのだから、他人の賛否などさして意味をもたない。


ただ、逆に人生に一度しかできない(できれば一度しかしたくない(笑))イベント、


よく結婚式は疲れるという話も聞くが、


式を挙げ、ウェディングドレスを来て、晴れの舞台で祝福される時にしか味わえない気持ち。


そういうものもあるのではないかと思う。


私自身、恋人にはウェディングドレスを着て、笑顔で笑ってほしいと思う。


その笑顔も、忘れたくないものだ。



私には、過去強く憧れた人が身近にいた。


社会にでて、私が22歳くらいの頃。


40近いというその男性は、私にとってこれまでにないほどのカリスマ性を感じさせる人だった。


未だに、その人を超えるほどの人物と出会ったことがない。


月収100万をとったことがある人だった。


油断がなく、自信にあふれ、言動は素早く、自分自身が動く人だった。


数字に対して妥協はなく、どなり声もなんども聞いたが、


それでも軽蔑しなかったのは、その実力と、芯のぬくもりがあったからだろう。




私が新米責任者だった頃、


その人から来た社内メールを、未だに持っている。


部内異動となったときに印刷しておいたものだが、


あのときとっておいてよかったと、今も思う。




これをふと思い出して見る度、「私はまだまだだ」と痛感する。


月収など、あれから5年も経つというのに、それほど変わらず、


ただただ、責任だけが増えている。



これを見る度、自分の中の甘えがどれほどはびこっているか、よく分かる。


まだまだ、まだまだ足掻かなければならないのだ。


その理由は、私の収入が物語っているから。



例え伴侶が出来たとしても、


余裕のある生活などできないだろうから。



めぐり合わせも、心も、喜びも、全てではないにしろ、


そうは言っても、収入に左右される。


どれほど性格がよくても、収入の少ない人間との結婚をしたいと思う女性は少ない。


そういう意味で、男性は生存競争にあると言っても過言ではないのだろう。


私は、それらの考えを受け入れ、挑む。


なぜか。


それは結局、金銭的な自由が、幸福を大きく左右する事を認めているからだ。

以前、「癒し系男子」と類似してだったか、「スイーツ系男子」と言うものは見かけたが。


新たに、「雑食系男子」と言うものを発見。


第8回 肉食系男子の落とし穴(1)



特に自分自身をカテゴライズしようとは思っていないものの、


この記事には共感させられた。



肉食だけでも、草食だけでも生き延びられない。


それが今の世の中ということだろう。



実際、衣食住に困る生活ではなく、


娯楽もそれなりに楽しめる生活。



世間を見渡しても、


「美味しいもの」「面白いもの」に溢れている。


そうして、価値観が多様化し、美味しいものも、面白いものも、安易に手に入る時代。


それでも、人、ひとりひとりが自分の価値観を貫き通す事は難しい時代。



私は、人としての罪を犯さない限りは、


一人一人の人間が、十人十色の価値観を持っていていいと思うのだ。



自由な表現を認め、それが誤った方向に向かないよう見守りさえすれば。


それが、行き詰まった社会に、すっと風穴を開けるようなきっかけになりうるかもしれない。



だが、やはりまだまだ、今の時代、多くの人間が大多数の価値観に依存し、


少数派を否定する。


そうすることで自分を守り、環境が変わらないことを望んでいる。



そういう社会で、まして現在の日本の経済的不安定さの中では、


少数派でありながらその意見を主張することのリスクが大きすぎる。


だから、彼らは口を噤む。


そして、それを「草食系」と揶揄する人々に対し、「自ら動こうとしない草食系とは違う」と思いながらも、


周囲の無言の重圧から、それこそ苦い草を食わされる事だろう。




安穏とした人生なら、


それなりに仕事をし、分相応な趣味でも見つけ、いつも変わらず過ごしていれば、


そう大きく変わることなく、人生を全うできるだろう。


少なくとも、この社会が真っ当に機能する限りは。




ただ、私は私自身に問う。


「それが本当に悔いのない生き方か」と。


私が明日にでも事故で死んだとしたら。


もう、そもそもの「私」という存在が消えてしまうのだから、


何も感じることはなくなるし、満足も不足も感じず、またそう思うこともない。



もしも人が死んで、


何もかもが無になるとしたら。


私は、今のうちに手の届く限りの物事を感じてみたい。


良いものも、悪いものも。


無を基点に考えたとき、


不思議と善悪は等価なのだ。


いずれも、そこで気付きさえあれば、新たな自分を見出すステージであることに変わりはないのだから。



表面上、この国は穏やかかもしれない。


でも、私としてはどこか危機感を感じざるを得ない。


個人の資産、雇用、生活、


それらの保証を、私のような一小市民に「必ずできる」といえるだけのものは何もないのだから。




少し話がそれたところもあるが、


それらから、確かに私は「肉食か、草食か」といった価値観を理想から入って決める前に、


雑食系のように、まずは「生き延びること」に重きを置き、


多様な価値観に過度の迎合も反発もせず生きていくことが好ましく思えた。