浜中文一さん、末澤誠也さんが出演の舞台
「スケリグ」観劇してきました。







場所はおなじみ、DDD青山クロスシアター。

去年は、「ぼくの友達」「Take Me Out 2018」「DAYZERO」で行きました。



そのTakeMeOutで観て以来の文ちゃん。

そして関西ジャニーズジュニアで私がイチオシの末ちゃん。



チケットは、そもそもは私的な自粛期間のため、取っていませんでした。


が、元日、スケリグのストーリーをさらっと読んでいるうちに急にどうしても行きたくなり、
機材横の席を開放と知ってチケット探した。


いわゆる見切れ席、という席ならある。


けど、この劇場なら見切れと言っても死角はないし、小さい劇場だから遠くもない。




と、急遽取ったチケットです。








朝からEndlessSHOCKの一般受付で電話をかけ続けたのだけど、
時間切れで家を出る。



後でツイを確認したらまだ望みがありそうで電車の乗り換え駅でも電話掛けたけど、
もうこのタイミングでは予定枚数終了とのアナウンス。




今年のSHOCKはもうダメなのか、と落ち込みながら、
しかもそんなことしてたせいでギリギリの到着。



青山登山といわれたという坂を、早足でせっせと歩く。




劇場到着は開演の15分前。


しかし、もう食べ物を口に入れることもトイレ列に並ぶことも出来ずにそのまま着席。










「スケリグ」の原作本は一昨日届いたのでした。

一昨日ちょっとと、今日の電車の中で読んだものの、途中まで。

ページはちょうど渋谷に着いたとき77ページ、そこまでの予備知識でした。


「デルフィニア戦記」観劇のときに、
多少なりとも原作を読んでおくと理解の助けになると感じたので今回もギリギリまで読んでおきました。


やっぱり今日も理解の助けになった。





デル戦と違い、空想上の人物というか、
現実世界に居ない人物なので、読んである程度自分なりに姿を想像しておくことで、
実際に文ちゃんが演じているその彼についてイメージと同じだったり違ったり、そういうことを感じるのも楽しいかと思っていた。


この回はまだ公演始まって2公演目。

まだ初見の方がほとんどなはず。


ですが、そういうことを気にしていると思ったことが書けないままになるので、
ネタバレバレします。


ネタバレがおいやな方はここまででお願いします。









さて開演。

上下にも左右にもコンパクトな舞台に、
2階建構造でセットが組まれている。





演者さん数人で、
ト書きのようなナレーションをする。



少しタイミングがずれたりするのも演出なのかなと思いながらのストーリーテラー達。







そして登場するマイケル役の末ちゃん。


明るい髪色に赤系のチェックのシャツ。

アメリカの少年のいでたちが本当に様になっている。



数年前、
末ちゃんの写真と小ボケかまして載せた、
息子の教科書に載ってた写真の人がイメージぴったり笑












お母さんのお腹に赤ちゃんがいて、
そんなタイミングで引っ越すことになり、
しかも引越し先は、前入居者が死亡した後特に手入れもしていない物件。


お父さんは張り切って、手入れをする想像をして結局そこに引っ越してくるところから物語は始まる。






のっけから、
主人公マイケルの気持ちは置き去りにされている感じ。




学校は遠くなってしまっても、転校せずに通えたのがちょっと救いなのかな。



でも、引っ越して早々に生まれた赤ちゃんにお母さんはかかりっきり。



そして病気のため、生きるか死ぬかでお父さんまで赤ちゃんにかかりっきり。



寂しさを紛らわすために、
マイケルが想像力を駆使して、
スケリグを生み出したのだと、
考えることもできなくはない。



そういう、子供の想像で、鏡から女の子が出てきていろんなことが起こるお話も、
子供の頃に読んだ記憶がある。






ハエの死骸やクモの巣がいっぱいあるガレージの中に、
親の言いつけを破ってこっそり入っていく、
そういうところが子供心にはわくわくする話だ。





冒頭に、
暗い中から数人が懐中電灯を照らしながらストーリーテラーをするシーンは、
年末に観た「ダブルフラット」を連想してしまった。





そして、
登場人物の名前と、
キャストの名前が、
ステンドグラスや壁に投影されるのは、
ウォーリー木下さん演出ならでは。




年中無休と同じ手法ですね。


文字の位置や縦書きなのか横書きなのか、
現れてくるのが意表をつく感じで、
それを観ているだけでも楽しい。





この演出家さんの作品は、
年中無休しか知らないのでついつい比較してしまいがちで、
年中無休は日常世界でのちょっとした出来事を取り上げているのに比べたら、
現実世界と不思議世界の間の混沌としたところを描いた作品だから、
こちらの方がウォーリーさんの演出がより際立っていると思った。







マイケルがスケリグを見つける時、
ガレージの中を1人こっそり進んでいく場面。



ガレージの中に有る物を、
ストーリーテラー達が言いながら、それを持ってる。


ロープだとか何だとか。


キャストがスタッフを兼ねるのですね。


この手法も、どっかで観た何かの舞台で同じのがあった。よくある手法なのかな。





マイケルが始めてスケリグを見つけた場面。



スケリグ役の文一さんが、
そんな風貌なのか、それを観たくてオペラグラスでがっつり見る。





制作発表のときの写真と同じ。



シルバーの髪はぼさぼさで、
青白い顔をして、服は汚れている。


ちょっと死神みたい。



原作では、ハエやクモを食べるシーンがあったけど舞台ではそれは無かった。



そして文ちゃんの声が、
スケリグの私のイメージのまんま!



まんまでした。






文ちゃんといえば、
「フィフティ・シェイズ」で、ふぉ〜ゆ〜より一歩先に単独主演をやって私はすごく悔しい思いをしたり、
「DOGFIGHT」で歌って踊る兵士を演じ、
「Take Me Out」では小柄な野球選手。



私が観た舞台だけでも、堂々としていて器用で、というイメージ。



(「まいど!ジャーニィー」でこっしーがゲストだったときに、文ちゃんと熱いトークをしたこともあったね)




スケリグの、得体の知れない役が、
文ちゃんの普段の飄々としたイメージにも合っている。







マイケルが初めてあったスケリグは、
とても弱っていてしんどそう。




スケリグがリクエストした食べ物は、
番号だったのだけど、
前の住人だった人の好物のおこぼれが美味しかった。




この食べ物のリクエストの仕方が独特で、
アメリカ的なのかなぁと思った。



「神々の旨し糧」って、言い表すのだけど、
原作でもそうなってるんだけど、
実際英語ではなんて書いてるんでしょう。




英語的な言い回し、気になるのが他にもあって、
「なにも、なんにも、なーんにも」とスケリグが言うところとか、
「何かだ」


とか。




「23階の笑い」で、原作ではどんな表現なのか知りたいあまり、ペーパーバックを取り寄せてしまった、
あの感覚が再びです。











文ちゃんが演じるスケリグ、

後半は最初に登場したときと違ってとても神々しいの。



この感じが何かに似ていると思ったのだけど、
DIAMOND☆DOGSが昨年上演した「フラメンコ・マクベス」。


「汚いは綺麗、綺麗は汚い」という言葉がでてくるマクベスが基になった舞台。


その中に登場する、森新吾さんが演じる「骨」、
それと、
咲山類さんとTAKAさんが演じた「魔女」、
それに似ているのでした。













音楽の担当の方がたったお1人です。



「DAY ZERO」もギター1本だった。


そういうのを想像していたら、実は違った。




ピアノ音のキーボード、だけじゃない。


リコーダー、アフリカの民族楽器?

ハンドベル、カホン、そのほかいろいろ。




演者さん兼ストーリーテラーの方々がハンドベルを持って鳴らすこともある。




マイケルが、フクロウの声の真似で、両手を合わせて「ホー、ホー」と鳴らすことがあったり、
鳥が鳴く場面もある。



鳥はいろんな種類がいっぱい出る。


鳥の声もあったかな。




あと、物音を立てる、ボールを蹴ったり、
木箱に乗って進むとか、
あんまり良くないなと思ったけど、本を床に置くときに音を立てるとか、
普通の楽器や楽器じゃないものもひっくるめて、
全てがサウンド。


全てが、音楽で、効果音。



ストーリーの中で、
心臓の鼓動を聞く場面がある。


そんなところは、マイケルも、友達の女の子、ミナも、
鼓動を聞くことに意識を集中。




客席も、集中。



音に対してとても扱いが細やかで、
余計な音を立てることが全くない。



客席も含めて。




固唾を飲んで息を潜めて耳をすます、そんな感じになる場面がたくさんあった。






音の捉え方がすごいなーと、
思っていたら。





帰りに寄り道してパンフレットを見たら、
音楽の担当の方は、
年中無休でふぉ〜ゆ〜達にストンプのご指導をしてくださった方とありました。




なるほど、納得、深く納得です。







映像でファンタジーの世界を表現して、
音楽ではファンタジーと現実世界との間を表現してくれている(と感じました)。







時々描かれる、赤ちゃんの病気のことや、入院した病院の中でのこと、
学校での授業や友達とのやりとり。



それは、現実世界として、マイケル目線では楽しくなさそう。




でも、最終的には、
そこともしっくり折り合いをつけ、馴染んでいくようになる。




マイケルとミナとスケリグの3人が、
踊る場面はとても美しくて。





お母さんが、不思議なものをみたと話すことと、
通じるものになっている。





不思議なことだけど、ありえない、夢だよ、
とは言い切れないことって、確かにある。




私も、父の亡くなった頃や、その後も時々有る。




そういう世界を、全否定はしない、
柔らかい感じが、全編にわたって流れているのが、
とても優しい気持ちにしてくれる。





お母さんが、自分の見たことを話している場面では、
その想像の先にあるのがスケリグだと、
観ている側は分かっているのだけど、
そこではらはらと涙が流れました。




赤ちゃんも、
スケリグも、
お母さんも、
マイケルも、
幸せな気持ちになっている。






カーテンコールで、末澤誠也さんはとても堂々としていたけど、
それにも増して、堂々とを超え、神々しい浜中文一さんが素敵だった。





怒涛の感動!というのではないけど、
じんわりとても幸せになれる舞台で、
ほんと、無理くりチケット取ったけど、
行って良かった舞台でした。




大人になっても、こういう気持ち、考え方、感じ方は捨てちゃ行けないな、
と、しみじみ思ったのでした。