なんだか立派なタイトルです。
が、これまで観劇の度に感想を書いて来て、
今回がその総括編でもあるので、
まとめという意味でこんなタイトルにしてしまいました。
12月のサザンシアターの初演と、
再演の東京・博品館劇場、
それと最終の土地大阪・サンケイホールブリーゼの大千穐楽の観劇だけで、
全てを語れるわけありません。
それに、
博品館劇場での感想だったら初演のときとの対比ができたし、
大阪でも初演の観劇だったらそれまでとの比較もできたのだろうけど、
大千穐楽だとそれももう違う気がするし、
と、なんだかアプローチの仕方に迷う。
迷いつつも、
記憶が薄れてしまう前の自分の覚え書きとして書いておきます。
千穐楽の日。
記念の日に観劇できるというワクワク感よりも、
遠出をするという非日常のせいで緊張して朝を迎えた。
とにかく、
家ゴトをバタバタと片付けて、
夜ごはんは各自でどうにかしてくれと宣言して家を出た。
途中、乗っていた電車で先行の電車が病人発生で遅延するとアナウンスがあったので、新幹線に間に合わないかと思ったけど、東京駅でダッシュして滑り込み、
どうにかこうにか大阪へ向かう。
初めての新大阪。
(注;リペアの時は京都で寄り道したのです)
私がふぉ〜ゆ〜担になってすぐくらいに知ったふぉ〜ゆ〜担のヲ友だちと初めましてをしました。そこは別記事に。
そして初めて訪れる、
サンケイホールブリーゼ。
客席に入ると。
何度も観た、マックスプリンスの大きなポスターが貼ってある、あの部屋のセットが。
これが今日を最後に見納めになるのかと思うと、
何度も観ておきたい。
オペラグラスを持たずに来たのがこんなところで悔やまれるとは。
あのメモボードに貼ってあるメモとか、
数々の賞状やいろんな舞台のフライヤー、あれを観るのも楽しみだった。
肉眼で確認するに、あのメモボード、メモの数がだいぶ増えてませんか?
ものすごくいっぱいメモが貼ってある。
それも含めて、最後に見納めするんだった。
そして開演。
舞台が始まると。
ルーカスの登場は、
サザンシアターでは23階の作家部屋入口のドアを開けて登場だったのが、
博品館劇場では客席下手の中央の通路からになり、
大阪では客席上手の中央通路になってました。
サプライズ感です。
初演のときは、
客席に向かって聞いてくれていたのが、再演では通路で目の前で聞いてくれる。
これ、ルーカスの瞬発力が試される瞬間そして視聴率100%の瞬間です。
回を重ねるごとに、相手がどんな答えを出しても面白くしてくれるだけの対応力がどんどん増していったシーン。
ストーリーテラーでもあるルーカス。
登場人物が現れる度にその人物像を説明したり、
ト書き的な説明をするシーンがある。
その度に、
舞台が暗転してルーカスだけにピンスポットが当たり、
ルーカス以外の演者がストップモーションになる。
ここはすごくテレビ的。
それを舞台でやるので、
腹抱えて笑ってるシーンなんかでストップになるのが面白い。
ここはあんまりアドリブ挟み込んでなかった。
千穐楽ではなんかちょっとあったみたいだけどよくわからなかった。
初演は、
なだぎさんやシソンヌと比べてふぉ〜ゆ〜の小粒感がやたら際立って、
ふぉ〜ゆ〜担としては悔しくてもどかしい場面が多かった。
それが再演では。
アイラにくすぐられても、サスペンダーを引っ張られても、
くすぐられて椅子から落ちても、
落ちて椅子を抜かれて空気椅子状態になっても、
股間を蹴られても、
素に戻らず無視を決め込むヴァル、ルーカス、ミルト。
無視の対応オンリーかと思ったら、
反撃に出たり動きを増やしたりするようになったりとすごく変わったので、
より面白くなってきたしふぉ〜ゆ〜が頼もしく思えたの。
何が来るかわからないハラハラ、
仕掛ける側に対して、対応する側もこうなれば、
観てる側も飽きない。
ふと思ったけど、
こういう仕掛けてくるシーンでは、
相手はヴァル、ミルト、ルーカスのシーンばかり。
マックスは、作家仲間ではなく、天才コメディアンなので弄りにくいせいもあるし、
松崎さんがいないシーンだからでもある。
もしかして、
キャスティングはそこも考慮したものなのかしら?
そうなると錦織さんの計算には本当に驚かされます。
「俺の笑いはやっすい。」
「量が多くてボリューミー、それが俺の笑い」
と、自嘲的にミルトは言ってるけど、
ルーカスは、
そんなことはない、自分を過小評価してるって第二幕のミルトの離婚話のときに言ってる。
ミルトとルーカスはよく話をする仲だし、お互いをよく知ってる。
この相関関係も、
なんとなくふぉ〜ゆ〜としての間柄に重なる気がして、
そんなところも錦織さんのキャスティング力’なのかなと、どんどん深読みしてしまいます。
初演には無かった、
ヴァルの水掛けシーンとか、
ハプニングじゃなかったの?なケニーのタブレットばらまきとか、
マックスがNBCから届いた手紙を3回読んだ後にキャロルが撃たれて「蒼乃さんから教わったのか」と言ったりヴァルまで撃たれるシーンとか、
上に向けて撃ったら鳩が落ちてくるシーンとか、
びっくりすることがどんどん追加されてったなぁと思います。
再演を観劇する前は、
こういう本編と関係ないところの笑いを取るシーンは、
意味ないんじゃないかと思っていた。
でも、再演を観劇し、レポを読んで、千穐楽を観劇したら、
芝居が成長するということなのかな?
と私なりに思った。
何度観ても同じ感動ができる。
プラス、
毎回が毎回違う。
やっぱり同じだとこんな短期間に何度も観たら飽きる。
そうさせないための必要なものなんじゃないかと。
ところで。
初演が千穐楽を迎えた後、
私がロスを抱えて書いた記事が今も下書きに残っています。
そのときは、マックスがNBCと電話で話した後に作家にその話をし何度も「大丈夫!」と言うシーンの、
「大丈夫!」が、原作ではどんな言葉なんだろうと書いていました。
今はちゃんと、後に届いたペーパーバックを持っているので分かります。
It's fine.
他にいろいろ言い換えてはいてもみんなこのワードでした。
マックスの複雑な胸の内をこのワードで全部表しているのでした。
「大丈夫」もそういうことですね。
作家たちの質問ぜめに、全て「大丈夫」という答えで返したあのシーン。
何回観ても同じ感動、という部分では。
一番はやっぱり、キャロルの「良い作家と言われたい」のシーンですね。
蒼乃夕妃さんの時から、
ずっとこのシーンは涙無くしては観ることができなかった。
端くれだけど私だって働く女性。
女性としての人生も謳歌したいけど、
それより仕事ができると言われたい。
初演には確か無かった、
作家全員が立ち上がって「だって、俺たちは忙しい」って言うシーンとか、
煙草の匂いや下品な言葉遣い、
そんな中で働いていても、
キャロルは作家という仕事が好きなんだな。
入山さんキャロルは、
このシーンを切々と訴えるので、
本当に毎回毎回、タオル離せない状態で観ました。
ミルトがキャロルに呼びかける「友よ」
これも、最初のうちはあまり気に留めないセリフだったのが、
だんだん注目するようになり、
最後にはこの言葉で更に泣いてしまうように。
ルーカスにも気さくに話しかけていってたし、
キャロルにはセクハラまがいの行動もしているんだけど、
ミルトはきっと人との距離が近いんだろうな。
それはこっしーがぴたラジで、
人との距離縮めるの早い、と言ったり言われたりしているのとまた重なる。
これも錦さんがこっしーにミルトの役をやらせた理由なんでしょうか。
登場人物については、
ミルトのことしか書いてませんね。
私はミルト担、じゃなくてこっしー担なのでね。
ただし、目線で追うのはミルトよりもマックスやヴァルが多かったかもしれない。
フォーカスされていないシーンではあんまり注目してなかった。
「23階の笑い、最終場です」
と、ルーカスが言ってドアを閉めるシーン。
千穐楽ではここでも泣けました。
大千穐楽の場合は、
どんなシーンを観たって、これがラスト、と思うのだけどここは本当に実感したから。
その前の、
アイラの歌い出しから全員で歌いながら踊るシーンは、
まさに一番の観どころ。
ただ、大千穐楽の時は、その更に前の場面でも私は泣けたのでした。
それは、
「シーザーサラダ」を巡ってマックスとアイラが衝突するシーン。
それまで何回か観劇したときには思わなかった、
「修羅場」というワードが頭に浮かんでいだ。
著作権という考えがこの頃あったかどうか知らないけど、
チームで笑いを考えるマックスと、
あくまで自分の作ったネタだと主張するアイラ。
番組制作費を削られたせいで、
身銭を切ってもクオリティを下げないマックスに対して、
自分のネタを追求したりクレジットに名前をいれてほしいアイラの衝突は、
悲しいし浅ましいし切ない。
そしてこれをきっかけに、
大げんかに発展していく。
まさに修羅場。
仕事とはいえ、
こんなことまでしなきゃならないのかと、
本当に悲しくなった。
こんな風に思って観ていたのは大千穐楽だけ。
それまではそういう感じで観てはいなかった。
アイラが原稿を食べるシーンで、
『コックと泥棒、その妻と愛人』という、
大昔に観た映画のワンシーンを思い出してしまったから。
でも、
大千穐楽の時に修羅場をそれまでより感じたせいか、
そのあとにアイラが歌い出した後に全員で歌い踊るシーンは、
楽しくてかっこよくって作家たちの結束力を感じて、
23階の全員のチーム感を強く感じたのでした。
そこからのルーカスの「最終場」と言うところ、
本当にこれが最後だと強く感じたのでした。
そしてクリスマスパーティー。
ミルトとヘレンのトークや、
ヘレンが笑いを取ろうとするところ、
正直、ヘレンは芝居が下手なのかと思っていたのだけど、
よくよく観るとそういうわけじゃない。
作家になりたいと憧れているだけでまだ秘書として働いているだけ。
面白いことも言えないし、
面白い間の取り方も知らない。
その感じがとてもよく出ていたのだと、
楽日に思いました(遅い)
マックスが作家を部屋に集めて「make a toast」するシーン。
一番泣けるところ。
ルーカスが泣いているのは何度も観たことがあって、
でもマックスが泣くというのは、
再演で観てびっくりした。
キャロルも手で涙を拭っているし、
ヴァルも泣くのを観た。
ミルトが泣いたとはレポで見てびっくりした。
「ずっと走り続けていれば、死なない、って言ったんだ!」
の言葉。
博品館劇場で観たときから、
これはふぉ〜ゆ〜に対するはなむけの言葉だと確信していたけど、
大千穐楽のときに、やっぱりそうだと思った。
マックス、ヴァル、ミルト、ルーカス、ブライアン、ケニー、キャロル。
妻帯者(キャロルは夫帯者?)だけど、マックスが「俺たちはまだ若い」って言うのだから、
まだまだ若いのでしょう。
ふぉ〜ゆ〜と同じくらいでしょうかね?
錦さんからのふぉ〜ゆ〜への激励の言葉に思えて仕方ないのは私だけでしょうか?
爆笑に次ぐ爆笑の場面を観ても、
ついつい、
演者の気持ちとか演者のセリフに託されたいろんな意味を探ろうとしてしまう。
大千穐楽ではこんなことを考えながら観劇していたのでした。
ルーカスが最後に、
このクリスマスパーティー以後の23階のその後を語ります。
ブライアンがハットを自分の椅子に残していったのは、
ルーカスが語るところで椅子にスポットが当たるときにわかるようになってるのですね。
そしてミルトが再び現れ、
ルーカスと2人で、
ラストにやる、
チャンチャン。
これが最後なんだなぁと、
なんだかこんな、笑いを取りたいアクションなのに、
悲しくなって泣けてしまったのでした。
はー。
ラストのふぉ〜ゆ〜からの歌とダンス。
製作秘話については、
脚本家さんのところで詳しく教えてくださっているのでそちらで。
辰巳雄大 with U(福越松)だけど、
歌詞はすごく深いそうで、
ここでもふぉ〜ゆ〜にたいする激励の言葉になっているのですね。
ふぉ〜ゆ〜はほんとに愛されキャラです。
カテコ(5回あった)については、
他の方のところでどうぞ。
ここまで書くのに、
夜行バスの中で舞台を反芻し、
朝のカフェで少し、家に帰って少し、翌日お昼に少し、仕事終わりに少し、
そして今と、
ちょっとずつ書き書きして今に至ります。
今朝目が覚めたとき「ボンジュールボンジュール」と手を叩くミルトとか、
「知る人ぞシルブプレ」とか、
「ターバン、カウボーイハット、ターバン、カウボーイハット、そうやってほじゃまかほじゃまかしているとマックスが笑ってくれる。」とか。
「オニオンロールは?」とか、
「ああハンナ、愛してるよ」とか、
ミルトのいろんなセリフが浮かんでは消える。
ロスのダメージが、自分で思ってたよりも重症のようです。
そんなミルトは、
もうミルトを脱ぎ捨てて、
松岡兄ぃの舞台観劇だったとか。
わたしも次の現場へ気持ちを切り替えようかと思うけど、
まだまだ、23階に住んでいたいと思うのです。
ロスがひどいので、
初演の後に「サウンドトラック」的に、
舞台で使われていたオールディーズの曲を紹介してくださっていたブログがあったのですが、
同じ記事がまた注目されているようです。
私も今度こそは、サントラ作ってみようかと思います。
ここまで読んでくださった方がいらしたら、
本当にありがとうございました。
チャンチャン。