大野智さんのFM Yokohamaでのラジオ、
「嵐ディスカバリー」
が、今日で終わりました。
今日かかった曲は、
「感謝カンゲキ雨嵐」(BGM)と、
「Season」(リクエスト)でした。
ラストを飾るのが、
初期の頃と、ブレイクした頃の曲なんだなぁとしみじみ思った。
私なんぞがこの番組について感慨深く語る資格はないけど、
ちょっと思うこともある。
2009年の春、前触れもなく突然私の前に現れた大野智さん。
それまであまり使ってなかったiPodが、
急に嵐曲で溢れ始め、
動画サイトを見まくり、
ブログを読み漁った。
その頃に、
「さとらじ」という名前で語られていたことで、
ラジオ番組を知ったのでした。
我が家、コンクリートの建物なのでラジオの電波が入らないため、
FM、AM、テレビ音声も入るかなり高額なラジオを持っていたのです(テレビ音声はその後地デジ化で入らなくなった)。
そのラジオでノイズに負けそうになりながらも聴くようになって、
毎日が楽しみだった。
ラジオからradikoに取って代わって、
さとらじからキスマイradioを熱心に聴くようになってからも、
radikoの予約は消さず、
毎朝スマホにお知らせが入って来てた。
そしてたまたま久しぶりに聴いたら、
今月いっぱいで番組が終わり、
それと一緒にさとらじも終わるのだと分かって、
びっくりしたし衝撃を受けた。
でも、
嵐からの「担降り」をしてからもうだいぶ経つ。
びっくりと衝撃以上のものは感じなかったです。
つい昨日twitterで流れて来た人様の担降りブログ記事があったのだけど、
その方の担降りの言葉がなるほどという感じだった。
その担当さんについてあれこれ言う資格が無くなる、ことなのだそうです。
なるほどと、私も溜飲が下がる思いがした。
嵐担だったときは、
本当に心がちぎれる思いばかりしてた気がする。
CDの発売が発表されたら、
即、予約をしなければ初回盤は手に入らない。
だから仕事中にそんな情報が入ろうものなら、
休憩時間はそれこそネットや実店舗への予約で本当に必死になっていた。
ライブのお知らせがあれば、
FC加入前の数年間は、
羨ましさで自分が嫌になるばかりだったし、
FC加入したらしたで、
チケ事情のあれこれの渦中の人となり、
これまた心がざわざわすることばかり。
チケットがダメならせめてグッズだけでも、
と思えば、
プレ販売のときから売り切れ情報が溢れる。
今思えば罪作りな「会場限定グッズ」欲しさに、
「5時間並ぶ」を2回やったり(1回目は私の目の前で完売)。
そんなことから、
担当を降りて初めて解放され、
心が穏やかになった。
(途中キスマイ担だったことは省略)
智さんも嵐さんも、
好きなことには変わりはない。
でも、
心がざわざわすることはもう嫌だ。
担当さんの週刊誌ネタであれこれ思うことも、
タイミング良いことに私には無かった。
さとらじが終わることについても、
14年半という長寿番組になっていたということや、
そもそも2002年の10月1日オンエア開始という事実に感慨深く思うことはあった。
けれど、嵐は当時まだライブもセルフプロデュースではなく、
デビューの華々しさから徐々に低迷し始めていた時期だったから、
まさかその後、
花男や魔王などからブレイクが始まって国民的アイドルの名を轟かすようになるとは、
栗原さん(番組のパーソナリティさん=ぴたラジで言うと永岡さんですな)も思っていなかったでしょう。
今日のラストのさとらじを聴いて、
嵐さんはまた次のステージへ進むんだなぁと、
「Step and Go」の曲を思い出した。
潤くんのラジオ番組が終わるときも同じように思ったな。
嵐さんの個人でのメディア進出は、
潤くんとさとらじの他に、
ニノラジオ、相葉雅紀のレコメン!、ニュースZERO、
と、全員があった。
他のグループ担から見ると恵まれているよね。
そして1つが終わる度に、
次のステージへと進むんだなぁと思ってきた。
悲しむべきことじゃなくて、
次に進むための節目なんだなと。
嵐さんはアラサーから、
アラフォーに差し掛かっている。
これから先、
アラフォーアイドルとして、
またはアイドルじゃない形を築くのかもしれないけど、
その姿を魅せていってほしいなと、
思ったのでした。
さて。
担降りという言葉の定義を読んで溜飲の下がる思いをしたのが昨日。
今朝のさとらじラストオンエアを聴いて、
しみじみと、
ああ、終わったのかと思った。
私が目下、
心がざわざわする対象は、
ふぉ〜ゆ〜。
そして、越岡裕貴さん。
ぴたラジは200回を超え、
次の目標は300回を迎えることだとラジオで辰巳さんが言ってた。
200回という節目も「だいたい今回が」という断りがあったくらい、
回数に関してはゆるいです。
まさかこんなに続くとは番組スタッフさんも思ってなかったらしい。
さとらじも、
開始当時はそんなもんだったんじゃないのかな。
先日行ってきたEndless SHOCK展。
新聞記事で語られるSHOCKの歴史だ。
公演開始当時は、
若造が座長をやる舞台、的な書かれ方をしていたのが、
徐々に賞賛に変わっていくその変遷が面白かった。
今日の1499回公演、
これから観劇に行ってきます。
(チケットをお譲りくださったnさんに感謝カンゲキでございます。)
では。