まだ幼稚園に入る前のこと。
あたしを育ててくれたおばちゃんは、
道徳の教育に熱心だった。
こういう場合、はなちゃんならどうする?
それを常に聞かれては、結構突っ込んだことまで指摘されて、
たとえば、はなこが
「ごめんなさいって言うー」って言ったとするでしょ。
そしたら、
「何でごめんなさいって言うの?どこが悪いと思ったの?」
そんな突っ込みが入って、
言葉に詰まると怒られてた。
「どこが悪いかもわかってないのに気安く謝るんじゃありません」っていう風に。
幼稚園に入る=社会に一歩出る ってことで、
それは人と関わるということで、
そのために必要なことだと思っての教育だったんだろうなと今はわかるんだけどさ。
だから、感謝もしてるんだけど。
四六時中そんなことを言われて育ったため、
常に相手の人がどう考えるか、どう感じるか、どう思ってるか、
それを考えずにはいられなくなってしまった。
しかも、本気で長年考え続けたら、そういうことって分かるようになるんだ。
勝手な思い込みや想像のようだけど、これって絶対だと思う。
現にミラクルはいくつも起こってるしさぁ。
人間は、一人では生きていけれない。
だから、誰かと関わって、助け合って生きてる。
誰かと生きるために、一番必要なのは、
相手を思い遣る、気遣うこころ。想い。大切にすること。尊敬すること。
これは少なからず間違ってないと自負してるんだけども、
あたしはちょっとやりすぎのようだ。
やりすぎというか、人間って、自分にとっての普通は、
他の人にとっても普通だと、どこかで考えがちになるじゃない?
だから、過剰にそいういうことをすることが普通のあたしは、
無意識できっと誰かにもそれを求めているということ。
意識はしてないんだけど、そうなんだろうなぁと思うことが多くて。
プライベートでも、会社でも、どこでも。
自分を想うように、他人を想えば、
きっとみんながハッピーになれるだなんて、
きれいごとすぎる世の中なのかな。
あたしの根本の考えはそこなんだ、たぶんね。
でも、ほとんどの場合に於いて通用はしないから、苦しくなる。
通用しないってことは、理解さえされないってことは、
それだけ皆自分ばかりが可愛いんじゃないのかと思ってしまう。
他人があってこその自分なのに、自分ばかりが可愛いなんて、
かわいそうすぎる。
無意味すぎる。
でもそれが現実。
誰かの目から見たら、あたしもそう映ってる可能性は高いわけでさ。
愛とは見返りを求めないこと。
つい最近、あいちゃんの結婚式で
牧師様のこの説教を久し振りに聞いたけど、
あたしはまだまだ愛には遠いのかもしれない。
マザーテレサの本でも読もうかしら。
何かが見えてくるかなぁ。
人間関係って、本当にわからないことばっかりだ。
人が人を大切にするって、簡単なことじゃないの?
わんこや猫にできてることが、人間にはできないのかな。
頭脳ばっかり発達しやがったのかYO!
お正月休みでよかった。
人間不信に拍車がかかり中。