四十の手習い | フンドゥックのブログ

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主に、トルコ、トルコ語について、いろいろ書いています。

六十の手習いって、日本では言うけど、似たような諺がトルコにもあります。

トルコでは、六十でなくて、四十となっています。


Kırkından sonra saza baslayan kıyamette çalar


昔、別のサイトで書いたような気もするのですが、やっぱり、日本人の方が寿命が長いから?

(終わった事ではあるけど、I知事、ひどすぎる)。


でも、トルコでは四十という数字には、結構意味があるようです。


漢字で、ムカデを、百足って書きますね。

トルコ語で、ムカデはkırkayak (四十足)です。


たくさんあるっていう意味で四十という数字が使われている感じ。


このサイトの別の記事で、


Bir fincan kahvenin kırk yıl hatırı vardır

こっちは、トルコの諺。一杯の珈琲には、40年の思い出があるという意。


と書いたことあったけど、これも、長い歴史を感じますね。というか、40の意味を知ったらそんな重みが感じられる・・・。


トルコの民話を読むと、本当に四十という数字がよく出てきます。


四十日、四十夜、婚礼やお祭りがくりひろげられる。とか。

kırk gün kırk gece düğün,bayram ederler.


『トルコ民話選』(竹内和夫、勝田茂訳注)のまえがきによれば、「トルコ民話において猶予期間が40日と決まっている」ようで、子馬がブドウと大麦で40日間で立派に成長するのもそうだ。


また、”Dev-Baba”(鬼の父)というお話では、鬼が娘に、四十一個の部屋の鍵を渡し、四十は開けてもよいが、四十一番目の部屋だけは決して開けてはならないとか、また、娘(本当は王女)が実の父(王様)に会えて仲直りできるのも、四十一日目のこと。


キーワードでもあるよね。


ちなみに、六十の手習いは、年とってから、始めるってことで、今からこんな事をやりまして・・・とお恥ずかしながらって感じはあるけど、今は元気なお年寄りも多く、肯定的に皆使っていますよね。


でも、トルコの諺は、よくは分からないのですが、40からサズ(楽器)を始めて、もう(命の)時間もないのに・・・。そういうのは、早くからやりなさいよのような感じを受けるのですが、どうでしょうか?


若い頃から何事も始めるっていうことは、確かに大事だけど、今は寿命も伸びているし、今からでも遅くない。


って、肯定的がいいな!