長男は
「もっとたくさん褒めて!パチパチって拍手もしてね!」
とよく言います。
私も、『もっと親に褒められたかったなー』という気持ちがあるので、たくさん褒めようとは思っています。まだまだ足りないようだけど
褒めること、大事にしようと思うんですけど、ふと思うことがあります。
私の場合・・・
・書道や絵画、スポーツなどで賞をとったとき
・学校の代表に選ばれたとき
頑張ってよい結果が出たときにもっと褒めてほしかった。
・難関といわれる大学に進学した時も
・就職氷河期に大企業といわれる会社に就職した時も
「ご両親は喜んでらっしゃるでしょう?」と言われたものだけど
「いえ…特には…」という感じでした。
あまり関心ないのかな・・と思っていました。
もっと喜んでくれてもいいのになーなんて。
でも、気づいたんです。
・スケート大会で転んでも
・高校で赤点を取っても
・うつ病になってせっかく入った会社を辞めちゃっても
責められることもがっかりされることもなかった。
良いときも悪いときも、変わらなかっただけなのかな・・?
両親は、なにが出来るから良い・できないから悪いというより、存在そのものを大切にしてくれていたのかもしれない。
だから、良いときもそこまで褒めないし、辛い時期に批判したりもしなかったのかなと。
それはすごく深い愛情なのではないかと思ったわけです
大発見
これに気づいたのは次男が生まれた後で、つい最近なんですけど。。。
それから、「褒められなかった」ということもプラスに捉えるようになりました。
「褒める」も使いようというか、
すごく自信になる一方で
例えば、極端ですけど、成績が良いことだけをものすごく褒めていると、成績が優秀でなければ価値がない、と感じてしまう恐れもあるかもしれないし。
褒めてあげなきゃ、褒めるって育ちにいいんでしょ、やらなきゃ、と褒めポイントを探すというのだと、上辺を取り繕って調整してる感じで疲れてしまう
子供を見ていて、すごい!って感じたことを素直に表現する、それが「褒める」になればいいなと。
そういうことが、子供に対しての心からの賞賛や尊敬につながっていくんじゃないかなぁと感じています。
そのためには、まず、母の心の余裕が必要だなとも。
心が動く余白を持って子供と接して、わぁ!っと弾む心で掛ける言葉が「褒め言葉」だったというのがいまの私の理想です
褒め上手になりたいものです
まずは自分のココロの余裕から…