
おそらくは、どの部族にも霊を意味する語があると想像します。
一方、辺境に住むある人達はキリスト教や仏教などの名も
死ぬまでに全く聞いたことも無い人達がいるはずです。
だからと言ってこれらの人達が神様の恩恵から外れる訳がないと思います。
宗教の名は人間が着けたもので、そのはるか以前から神様の存在はあるはず。
キリスト教でさえ、イエスという方が各地を歩いていたころにはキリスト教と
いう名はなかった。その名は周囲の人達が後でそのグループをそう呼んだそうです。
そんな神様の存在は到底、人間の想像力をはるかに凌駕している。
私は聖書をもっとも読んでいるので他の宗教については、よくは知らない。
それで引用はそこからが多い。そこでは神様は一人一人の人間の髪の毛の
一本、一本の数までご存知だと言っている。
初めてこれを聞けば大袈裟だな、と思うのではという気がする
けれど、神様は人間の想像力をはるかに超えたとてつもない存在であるようだ。
地球だけでも植物、動物、鉱物の種類のなんと多い事!宇宙の太陽ですら、、宇宙全体もその創造物なのだから。
科学は神様を否定するけれども、どういう根拠なのかお聞きしたい。
これと言った根拠も無しに否定するならば、それはおごりもおごりで話にならない。
その人達はこの世で次に待っている結果の原因を作っている。
目的―原因―結果の法則など、まったくの考慮外となっている
死ぬ時になって、、神様、仏様お願いしますが聞いて頂くなんて、絶対に無い。
それは間違いなく手遅れとなるだろう。それが可能ならば、全ての真理も善も不用だ。
死ぬときには、忘れずに、、神様、仏様お助け下さい、を忘れなければ良い。
この目的-原因-結果の法則を軽く考えてはいづれ、大変な事になると思います。
自由意思を持つ人間は地獄へ行くものも、天国へ行くもの自由。人生は短いけれど、
どう生きるかの選択は人間の自由だ。
目的ー原因‐結果についてはクリック