乳がんで闘病中だったロック歌手、川村カオリさん(本名・川村かおり)が28日午前11時1分、都内の病院で死去した。所属事務所が発表した。享年38。葬儀は親族、友人のみで行う。
川村さんは90年代に「神様が降りてくる夜」「翼をください」などの曲で人気を博したが、04年に乳がんを患い、乳がん治療で左胸を失うなどした。回復後、音楽活動を再開したが08年10月に乳がんの再発・転移を公表していた。
川村さんはがん転移を公表後の今年5月に東京・渋谷のC.C.Lemonホールでデビュー20周年ライブを開催していたが、その後、公式ブログで「C.C.Lemonホールでのライブは、なんとか無事に最後まで歌えましたが、新たな転移があり、ライブ後すぐに入院して治療・検査をしていました」と新たな転移を報告。「入退院を繰り返しているうちに体力を消耗してしまい、治療方針を細かく変えて治療中です」「みんなから貰った元気玉や祈りを無駄にしない様に、しばらく治療に専念したいと思います」と闘病の様子を綴っていた。
略歴
モスクワで貿易会社の駐在員を務めていた日本人の父とロシア人の母の間に生まれる。11歳の時に家族と共にモスクワから千葉県に移住。 都内の中学校に通いながら新宿Loftやツバキハウスなどにライブを聴きに行くうちに音楽関係者と知り合い、1988年に辻仁成プロデュースにより、「川村かおり」として(後にカオリに改名)シングル『ZOO』[1]および同名アルバムでデビュー。
1990年、『神様が降りてくる夜』が「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」のテーマ曲となりヒットする。1991年には『翼をください』もヒット。また1989年4月から1991年6月までニッポン放送「オールナイトニッポン」土曜2部のパーソナリティを務めた。
1991年、「東京の休日」で映画初主演。同年4月、当時の内閣総理大臣であった海部俊樹に、当時のソビエト連邦大統領ミハイル・ゴルバチョフとの晩餐会に招待された。1992年、エッセイ集「volume―僕の手の中」を発表。
1993年より活動休止し、ニューヨーク等で生活。1995年6月、音楽活動を再開しシングル「Big Beat」を発表した。1996年、NHK-BSのテレビドラマ「新宿鮫」に出演。1997年、「新宿鮫・毒猿」に出演。
1998年、クラブ向きの音楽制作を目的としたソロプロジェクト「SORROW」を開始し、クラブイベントでのDJとしても活動を始めた。また、モデルの坂田かよと共にクラブイベント「696」を開催し好評を博す。この頃、「川村かおり」から現在の「川村カオリ」に改名した。また同年、母が乳癌で死去。
1999年2月、「SOBUT」のギタリストであったMOTOAKIと結婚。同年、手塚眞監督の映画「白痴」に出演。
2000年、「SORROW」のメンバーに中村達也を加えてイベントを全国で展開。以降、夫を含む4人編成のバンドとしてインディーズで活動を続ける。2001年、ツアーの様子を自ら撮影したドキュメンタリー映画「696 TRAVELING HIGH」を発表した。同年、行定勲監督「贅沢な骨」に出演。また同年12月には長女を出産。2003年、ユニバーサルミュージックよりアルバムを発表し、メジャーデビュー。
2004年、乳癌が発覚。左乳房の切除手術と抗がん剤治療を経て、2005年に芸能活動を再開した。9月、フォトエッセイ「Helter Skelter」を発表。少女期に受けたいじめや、音楽活動の紆余曲折、乳癌を患った事とその闘病生活などを明かした。2006年、手塚眞監督の映画「BLACK KISS」で主演を務める。
また、国内アパレルブランドのモデルとしてパリ・コレクションなどのファッションショーに出演。
2007年2月、「SORROW」の活動休止を発表。同年、北村龍平監督の「LOVE DEATH」に出演。6月、3年半の別居の末MOTOAKIと離婚。9月29日、ピンクリボン運動のイベントでトークショーに出演。「年に1度はマンモグラフィー検査に行ってほしい」と訴えた。イベント終了後の記者会見では、話し合いを経て共に悔いの無い心境で離婚届を提出した事、長女の親権は川村が持つ事などを明かした。
2008年10月1日、ブログでがんの再発を発表。同日に参加したピンクリボンフェスティバル終了後の記者会見では、昨年関節炎と診断された胸の痛みの原因が実際はがんである事が1月に判明、リンパ節・骨・肺の3ヶ所に転移しており、手術が不可能なため点滴での抗がん剤治療を続けている事を明かした[7]。
2009年1月23日、11年ぶりの誕生日ライブを東京・原宿アストロホールで行う。『バタフライ』など7曲を歌った。
同年3月18日に徹子の部屋にゲスト出演する。
同年3月22日、東京渋谷HMVでシングル『バタフライ』と書籍『MY SWEET HOME』の発売記念インストアライブにて、トークと『バタフライ』を1フレーズ歌い、握手会を行った。
同年4月4日、単発特番の川村かおりのオールナイトニッポンが放送される予定だったが、体調不良のため川村本人は生出演せず、急遽『川村カオリのためのオールナイトニッポン』として放送された。MCは構成作家の鈴木おさむ。
同年5月5日、東京渋谷CCレモンホールにてライブを行った。全席完売の会場で全13曲を歌い、合間にオールナイトニッポンの公開録音を行った。公演中は椅子に座った状態だったが、アンコールの『ZOO』ではギターを抱えて立って歌った。ゲストは鈴木祥子、浅井健一、高橋研、吉川晃司、渡辺俊美、鈴木彩子で、13年ぶりのフルアルバム『K』に参加したメンバーが入れ換わりで演奏した。オールナイトニッポンの公開録音は、4月4日に生出演できなかったことからリベンジ企画としておこなったもの。放送予定はいまのところ未定。
同年5月27日、13年ぶりのフルアルバム「K」を発売。同年7月1日、ブログでガンの新たな転移が見つかったことを報告した。
2009年7月28日午前11時01分、乳ガンのため都内病院にて死去した。享年38。
若い!若すぎる死です!!
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川村さんは90年代に「神様が降りてくる夜」「翼をください」などの曲で人気を博したが、04年に乳がんを患い、乳がん治療で左胸を失うなどした。回復後、音楽活動を再開したが08年10月に乳がんの再発・転移を公表していた。
川村さんはがん転移を公表後の今年5月に東京・渋谷のC.C.Lemonホールでデビュー20周年ライブを開催していたが、その後、公式ブログで「C.C.Lemonホールでのライブは、なんとか無事に最後まで歌えましたが、新たな転移があり、ライブ後すぐに入院して治療・検査をしていました」と新たな転移を報告。「入退院を繰り返しているうちに体力を消耗してしまい、治療方針を細かく変えて治療中です」「みんなから貰った元気玉や祈りを無駄にしない様に、しばらく治療に専念したいと思います」と闘病の様子を綴っていた。
略歴
モスクワで貿易会社の駐在員を務めていた日本人の父とロシア人の母の間に生まれる。11歳の時に家族と共にモスクワから千葉県に移住。 都内の中学校に通いながら新宿Loftやツバキハウスなどにライブを聴きに行くうちに音楽関係者と知り合い、1988年に辻仁成プロデュースにより、「川村かおり」として(後にカオリに改名)シングル『ZOO』[1]および同名アルバムでデビュー。
1990年、『神様が降りてくる夜』が「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」のテーマ曲となりヒットする。1991年には『翼をください』もヒット。また1989年4月から1991年6月までニッポン放送「オールナイトニッポン」土曜2部のパーソナリティを務めた。
1991年、「東京の休日」で映画初主演。同年4月、当時の内閣総理大臣であった海部俊樹に、当時のソビエト連邦大統領ミハイル・ゴルバチョフとの晩餐会に招待された。1992年、エッセイ集「volume―僕の手の中」を発表。
1993年より活動休止し、ニューヨーク等で生活。1995年6月、音楽活動を再開しシングル「Big Beat」を発表した。1996年、NHK-BSのテレビドラマ「新宿鮫」に出演。1997年、「新宿鮫・毒猿」に出演。
1998年、クラブ向きの音楽制作を目的としたソロプロジェクト「SORROW」を開始し、クラブイベントでのDJとしても活動を始めた。また、モデルの坂田かよと共にクラブイベント「696」を開催し好評を博す。この頃、「川村かおり」から現在の「川村カオリ」に改名した。また同年、母が乳癌で死去。
1999年2月、「SOBUT」のギタリストであったMOTOAKIと結婚。同年、手塚眞監督の映画「白痴」に出演。
2000年、「SORROW」のメンバーに中村達也を加えてイベントを全国で展開。以降、夫を含む4人編成のバンドとしてインディーズで活動を続ける。2001年、ツアーの様子を自ら撮影したドキュメンタリー映画「696 TRAVELING HIGH」を発表した。同年、行定勲監督「贅沢な骨」に出演。また同年12月には長女を出産。2003年、ユニバーサルミュージックよりアルバムを発表し、メジャーデビュー。
2004年、乳癌が発覚。左乳房の切除手術と抗がん剤治療を経て、2005年に芸能活動を再開した。9月、フォトエッセイ「Helter Skelter」を発表。少女期に受けたいじめや、音楽活動の紆余曲折、乳癌を患った事とその闘病生活などを明かした。2006年、手塚眞監督の映画「BLACK KISS」で主演を務める。
また、国内アパレルブランドのモデルとしてパリ・コレクションなどのファッションショーに出演。
2007年2月、「SORROW」の活動休止を発表。同年、北村龍平監督の「LOVE DEATH」に出演。6月、3年半の別居の末MOTOAKIと離婚。9月29日、ピンクリボン運動のイベントでトークショーに出演。「年に1度はマンモグラフィー検査に行ってほしい」と訴えた。イベント終了後の記者会見では、話し合いを経て共に悔いの無い心境で離婚届を提出した事、長女の親権は川村が持つ事などを明かした。
2008年10月1日、ブログでがんの再発を発表。同日に参加したピンクリボンフェスティバル終了後の記者会見では、昨年関節炎と診断された胸の痛みの原因が実際はがんである事が1月に判明、リンパ節・骨・肺の3ヶ所に転移しており、手術が不可能なため点滴での抗がん剤治療を続けている事を明かした[7]。
2009年1月23日、11年ぶりの誕生日ライブを東京・原宿アストロホールで行う。『バタフライ』など7曲を歌った。
同年3月18日に徹子の部屋にゲスト出演する。
同年3月22日、東京渋谷HMVでシングル『バタフライ』と書籍『MY SWEET HOME』の発売記念インストアライブにて、トークと『バタフライ』を1フレーズ歌い、握手会を行った。
同年4月4日、単発特番の川村かおりのオールナイトニッポンが放送される予定だったが、体調不良のため川村本人は生出演せず、急遽『川村カオリのためのオールナイトニッポン』として放送された。MCは構成作家の鈴木おさむ。
同年5月5日、東京渋谷CCレモンホールにてライブを行った。全席完売の会場で全13曲を歌い、合間にオールナイトニッポンの公開録音を行った。公演中は椅子に座った状態だったが、アンコールの『ZOO』ではギターを抱えて立って歌った。ゲストは鈴木祥子、浅井健一、高橋研、吉川晃司、渡辺俊美、鈴木彩子で、13年ぶりのフルアルバム『K』に参加したメンバーが入れ換わりで演奏した。オールナイトニッポンの公開録音は、4月4日に生出演できなかったことからリベンジ企画としておこなったもの。放送予定はいまのところ未定。
同年5月27日、13年ぶりのフルアルバム「K」を発売。同年7月1日、ブログでガンの新たな転移が見つかったことを報告した。
2009年7月28日午前11時01分、乳ガンのため都内病院にて死去した。享年38。
若い!若すぎる死です!!
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