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良かったと思うことも、嫌だったと思うこともありませんね。


よく、仮想現実世界で人格が変わる人がいますが、私はそんなに器用ではありません。

リアル世界でできないことは、たとえヴァーチャル世界でできるはずもありませんでした。


リアルで起こることはヴァーチャルでも起こるし、リアルで起こらないことはヴァーチャルでも起こりません。

仮想現実世界といっても、その実は、ネットというマスメディアを通しての現実。

私にとって、ヴァーチャルがリアルを超えることはありませんでした。


生来、極度な人見知り。

ヴァーチャル世界でならと期待もしましたが、リアルでできないことがヴァーチャルでできるはずもありません。

方法を知らないからです。知らないことはできるわけがありません。


ヴァーチャル世界では、ウソも平気でまかり通ります。

年齢や外見を偽ることもできたでしょう。

それで、いい思いをすることもできたかもしれません。

でも、バレたときの怖さの方が先に立ち、ウソをつくことさえできません。

いわゆる「オフ」を体験しようと思うならば、その怖さも避けられないでしょうが、元々、「オフ」で会うことなど、最初からできるはずもなく、偽ったところで、なんの怖さもないはずのです。

それでも、ヴァーチャル世界でさえ偽ることができない小心者なのです。


私にとっては、ヴァーチャル世界も、リアル世界の延長上にしかないのです。


そんな小市民に、ヴァーチャルならではの良かったことや嫌なことが起こるはずもありません。

所詮は、リアル世界の生き写しですから。

良かったことも嫌なこともリアル世界で体験することと同じ現象だけです。


確かに、先日、Facebookで20年ぶりに知人からメッセージが届きました。

かつて、同じ予備校で苦しい受験戦争を戦った戦友です。

しかし、リアル世界で20年も疎遠になっていた戦友から、今頃になって連絡が入っても、むしろ、どう接すればいいのか、わかりません。

かつてのように、親友面することができないのです。

それは、ヴァーチャル世界だからといって、変われるものではありません。


その不器用さは、私にとって、現実世界でのネックなのですから。


もちろん、ヴァーチャル世界で、別の人格をつくったこともあります。

しかし、リアルでできないことがヴァーチャルで長続きするはずもありません。

その別人格が負担になるだけでした。ボロが出る前に、その人格はいなくなりました。


確かに、SNSは非常に便利です。

私の場合、主な用途は情報収集。

ここまでSNSが発展してくれたおかげで、世界中の情報がボロボロ落ちています。

ここに来れば、大抵の情報は得ることができます。


しかし、それ以上でもなくそれ以下でもない、単なる情報源にすぎません。

そこに、良かったことも嫌なことも存在しません。

評価できるのは、リアル世界のみ実現できるだけです。


もうサービスが終了していますが、Livedoor SNS、Yahoo SNSからはじまり、twitter、mixi、Facebook、その他、@gamesやアメピグと手を広げてはいますが、うまく使いこなせている実感はありません。

所詮は、リアルでうまく立ち回ることができない人間は、ヴァーチャルでも同じことしかできませんでした。

「友だち申請」という機能がよく付随していますが、自分から申請することさえできません。

リアルで友だちのつくり方を知らない人間は、ヴァーチャルでも友だちをつくれません。

できることといえば、ただこうやってブツブツと独り言をいうだけです。

リアル世界となんら変わらないのです。


唯一違うことがあるとすれば、ヴァーチャル世界ならではのウソを見抜く力が備わったぐらいでしょう。

未だに、ヴァーチャル世界の匿名性を信用している人たちがいるようですからね。

そんな都市伝説は、もうなくなってもいい頃だと思うんですけどね。

IPアドレスという言葉さえ知らないで、インターネットをしている人がいるのが不思議です。


まぁ、そういう人は、私と同じで、リアル世界でもそういう生き方をしているのでしょうね。

物事の本質を理解しようとせず、便利な部分だけを甘受しようとしているのでしょう。

そんな甘い考えで生きていれば、それこそ、そのうち、「嫌なこと」に逢ってしまうんでしょうね。


お気の毒さまで。



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