わたしは、なぜか私の両親が東北から長崎県にまで移住したせいで、あらゆる親戚・親族の誰からも忘れられたように、育った。
そして両親は(とりわけ、主に父)故郷のことなど省みなかった。
たいていの子供は親を好きではない、と、わたしは考えている。だから、全く交流しないし、帰省しないし、むろん、貧乏だったので出来もしなかったのだろうけれど、そういうことの努力もしなかったのは事実だ。

だからと言って、その子供にまで、そのことを強いて良いはずがない。
わたしは、その点についても、両親をとても恨んでいる。わたしは一人っ子なのに、イトコの行方すら知らないのだ。

このような孤独感は、年を重ねる事に、強くなるのだろうと、若い頃に予想したけれど、案の定、そのようになってきた。
東北のイトコたちは、私のことなど思い出したりもしないのだろう。

みたこともない親族や親戚が、いったい何人居るのかさえわからない。
そんな人達は他人と同じだ。
もし私が死んだら、誰が誰かに報せるのだろうか?
もし誰かが死んだら、誰が私に報せるのだろうか?
そもそも他人なのだから、どうでも良いことではあるのだけれど、最近、本当に、こんなにも私を孤立させた両親が憎い。

唯一つながりのある同い年の女のイトコに、そのことを打ち明けると、あんたは遠くにいて幸せだったんだよ、あんな泥沼みたいな争いや揉め事を、見ないですんだのだから、と言われた。
どうにも両家は、所謂、ハズレの嫁に恵まれて(?)おり、徹底的にやられた、昼ドラのような歴史を歩んできた。
そのことは、だいたい知っている。
母方の家などは、借金のカタにとられ、土地すらもうない。

父方の家は、継いだ父の弟(叔父)が、一家解散!と宣言して祖父母を置き去りにして若い嫁のもとへ去っていった。

そのまえには、前妻が、徹底的に祖父母の財産を食い尽くし、叔父を捨てたという経過があった。置いて行かれた子ども達を不憫に思った祖父母は、かなり甘やかしてイトコ2人を育てた。
叔父は北洋やサンマの船乗りなので、留守ばかりだったからだ。
わたしは、そのような祖父母の甘やかしという恩恵からも、外されていた。
そしてしばらく前、イトコ達が成人した後、叔父は、またしても同じ道を行ったのだ。財産目当ての、私と3つしか違わないようなの若い嫁。人は学習しない見本のようだった。この嫁にも会ったことはない。

母の妹の旦那(嫁ぎ先・叔父)は、借金のせいで高速道路で事故という自殺をした。
母の兄嫁がまた、母方の祖父母の財産を食い尽くして、結局、借金まみれになり、家土地なくした祖母は、現在はホーム暮らしだ。幸い軍事恩給があるため、ホームでは、事足りた生活が出来ている。

そういうものを、見ないですんで、わたしは、幸運だったのだろうか?
父は、そういうしがらみや、田舎町ゆえの誰もが顔見知りで一挙手一投足を見張られているような閉塞感が嫌で、自分勝手に生きたくて、こんなに離れた土地に飛んできたのだ。

だか、わたしの目には、そういうしがらみが、とても愛おしい物のように見えるのだ。どんなでもいい、親族の集まりをするような場面に、自分も居たかった。
隣の芝生は、いつだって青いのだ。

他人のようなイトコのひとりは、津波で嫁を失った。これまた唯一つながりのある父の姉から、彼が2年前に再婚したと、つい先月にやっと、聞かされた。
ウチに報告する必要性などないと、皆が考えているのだ。
そんなイトコと、今後、連絡など絶対にとれることは無いだろう。父方の祖父母はもう死んでいるから、本当に会う機会は無いだろう。

今週末、仙台に生きている祖母に、会いに行く。20年ぶりくらいだと思う。

ひたすら虐められてきた学校生活のおかげで、友人が皆無なわたしは、当然でもあるが、驚くことに、親族のものをふくめて、結婚式と葬式に、一度も参加したことがない。
いつも置いて行かれたからだ。
家が自営業だから、留守番がいないとダメだという理由で、中学生だった時でさえ、仕事の電話番のために、置いて行かれた。学校を休まされて、仕事場で留守番したのだ。まだ携帯電話など無かった時代ならではのことだ。

会いに行く祖母は、最後のひとりだ。
私がつくまで、生きていてほしい、と、真剣に心配している。
今までが今までなので、生きて会える気がしないのだ。最後まで運命が、嫌がらせを私にするような気がしてならないのだ。

ばあちゃん以外は、みな他人のような親戚ばかりだ。もう30年は話したことも、あったこともないし、消息すら不明だ。
ばあちゃんに死なれたら、私は本当に東北への足がかりが、いよいよ、なくなるような心持ちで、いま、とても不安定なのだ。

拠り所にならない、親戚など、どうして居るのかわからない。
いっそ真実天涯孤独なら、どんなにか気楽だろうか。
誰かがいるとわかっているから、孤独感がより増すのだろう。

地獄を見なかった私と、渦中にいたイトコの彼女と、どちらが幸運だったのか?
あと数十年したら、きっと解る日も来るのかもしれない。