薄明の世界 二十五話
「ええい、やめぬか!」
綾は声を張り上げ、佐吉を掴まえて喉元を強く締め付けた。苦しげな表情を浮かべているが、その心根はいたって穏やかだと言える。その原因を知ることは、宗弦には叶わないことだ。しかし、助けるに及ばずであることは明白だった。
「一体どういうことだ、佐吉」
宗弦は混乱しながら、佐吉に応えを求めた。
綾は綾ではない。
疑念を抱いたことは、間違いではなかった。
亡霊と化せば、理性を忘れて本能がままに「目的」を達成せんがため、姿なき姿で行動をする。
亡霊となった綾の目的は、自分に死へと導く道しるべとなることだとばかり宗弦は思っていた。当然の報いであると、疑いもしなかった。
身篭る綾を目の前で、助けもせずに見殺しにした。
その事実は、変えられようもない。
「綾さまから離れやがれ……お蘭」
「見破られたというわけか」
瞳孔と口を大きく開き、慄くほどの表情で佐吉を見る綾。生前の綾ができるはずもないような表情だ。むしろ、人間がこのような表情をすることすら想像だにできない。
苦悩の表れか、歓喜の表れか、どちらとも取れない感情が綾の身体と精神を蝕んでいっているようだ。
「もう少し、楽しんでいたかったがな。人間には憑きやすいのだ。そこの人間、宗弦といったか。知らぬだろうがな、この女を殺したのは、おまえなどではない。この女が身篭った子どもに憑いた余だ」
「てめえ!!」
佐吉は二、三歩後ろに下がって猫又の得意とする変化をして見せた。佐吉が変化した姿とは思えないくらいに聡明な顔立ちの侍で、その右手には刀が握られている。
「三成めの話を聞いておらなんだか、佐吉。所詮、人間が鍛えた刀など余には利かぬぞ?」
「誰がてめえを斬りつける為の刀だと言った?」
「では、そこの堕落した僧侶を切りつけるための刀か?」
「その通りよ!!」
「佐吉!?」
宗弦は、思わぬ佐吉の言葉に驚くが、足が地に吸い付いているように動かなかった。
宗弦は、巨躯の数珠を首から取り、斬撃に備えて盾とした。
膨大な法力を蓄えるであろう巨躯の数珠であろうと、刀の斬撃には耐えられないだろう。覚悟の上で宗弦は巨躯の数珠を頭上に掲げた。
「おやめなさいっ!!」
佐吉の刀が巨躯の数珠に触ろうとした瞬間、声が聞こえた。
宗弦にとっても佐吉にとっても、その声は懐かしいものだった。